239話  実釣モード


 5月の2週目、五月晴れがつづいた。河川の雪代が順調に引いていく。上流部はササ濁り、中流部は泥濁りである。しかし、枝沢はほとんど澄んでいる。イトウ産卵観察にあちこち歩いたが、もう日本海側ではほとんど産卵は終わったようで、産卵個体を見つけるのは容易ではない。愛用のニコンD600で産卵風景を撮影したが、決定的なナイスショットはなかった。

 枝沢は本流の増水に連動して増水してはいるが、透明度は高いし、水温もわずかに高い。沢の一部が広げられて遊水池となっている。私はスプーン+ワームのシステムを試してみたくなって、池のど真ん中にキャストし、スプーンの深度を調節しながらリールを巻いた。そこへいきなり小魚が攻撃して、ヒットした。みるとイトウだった。36センチのわりに肥った少年だった。なんとこの思いがけない1匹が、今季第一号となった。

 翌日、今度は本流下流部の大場所を狙った。もう試しではない。実釣に移った。雄大な流れに渾身の一投をくれる。これだ、これが待ち望んだ釣りだ。増水した川床に潜むイトウを狙うには、ルアーを深く沈める必要がある。バイブレーションの出番だ。私の武器は80ミリの大型バイブだ。よく飛んでよく沈む。しかし油断するとすぐ根がかりする。

 下流へのダウンクロスで沈め、ちょいちょいとあおりながら、巻いていたところ、ズシンと重圧がかかり、リールのベールが起きてしまった。慌てて対処したが、穂先は大きく揺れている。「きたーぁ」と思わず叫んだ。心の準備がいまひとつできていなかったので、じたばたしたが、わずかの時間にイトウの扱い方を思い出し、直径80pもある大タモに流し込んだ。77p、3.4kgの良型イトウである。オスでわずかに婚姻色のなごりを残していた。達磨さんの両目が開き、いけいけムードが盛り上がる。

 場所を変えた。さらに下流で人跡のない湿原も近い。釣り座と水面の段差が大きいので、油断すると川に転落し、陸に上がれない恐れもある。そこで振り出しタモを伸ばして備えた。扇状のキャスティングをつづけること20分、カツンとアタリを感じたら、46pの若武者が浮上した。イトウとしてはもちろん小さいが、ニジマスならなかなかのサイズだ。しかし9.5ftの竿に20ポンドのナイロンラインを巻いた5000番のリールのタックルだから、これしきの魚ならごぼう抜きもできる。

まだ居るとみて、VIBを投げつづけた。こんどは、リールを巻いてピックアップする直前にガクンとヒットした。足元で、竿の穂先がゴンゴンとおじぎをする。私の好きな瞬間である。今度は慎重にタモですくった。66p、2.9kgであった。

こうしてすっかり実釣モードに突入した。いきなりトリプルで来るとは幸先がよい。例年ならまだ雪代増水が原野に溢れるころなのに、ことしは水位の平常化が2週間も早い。一方で植物の生育はふつう並みなので、岸辺は歩きやすい。おかげで釣果があがるのだが、「黄金の月」6月になったころには、渇水になってしまう心配もある。しかし釣れる時期に釣っておくのが私の原則だ。

ついこの間まで、釣りをやりたくて悶々としていたのに、シーズンに入ると年齢も忘れて、あちこちと飛び回る。冬場に鍛えておいた肉体が、早くも悲鳴をあげる。原野を踏み歩く下肢はパンパンに張り、竿をふりつづける右肩は先発完投した投手のようだ。それでも肉体の疲れは心地よく、帰宅すると食欲はきわめて旺盛である。この時期に旧川の土手に生えるギョウジャニンニクは肉体疲労には効果があるようで、湯通しして食べるとひと晩で肉体疲労が取れる。翌朝は特有の臭いで目が覚めるほどだ。