233話  釣りと田舎ぐらし


 イトウ釣りも終盤に近い201311月初旬、いつもの川で独り竿を振っていた私のところへ、ふたりの釣り人がやってきた。きっと「釣れますか」というような声を掛けるのだろうと、あまり気乗りのしないそぶりで、ふたりに「こんにちは」とあいさつをした。ところが、ふたりはにこやかに笑っている。よく見ると、出狸化小爺と出狸化小婆の夫妻だった。

「やあ、見慣れた車があったので、やってきました」

 車から牧草地を歩いて、川辺まで来たのだ。晩秋の川は、穏やかな平常水位で、魚はまったく釣れなかった。それで、川を前にして立ったままの釣り談義となった。

 出狸化夫妻とは川以外で会ったことがない。姓名も知らない。それでも10年来の釣り仲間であって、いろいろな穴場を教えてもらった。その穴場はけっして行きやすいところではなく、かなりの重労働をともなう。そういった探検的な釣行を繰り返して、宗谷のイトウ釣りを楽しんでいることに私は深い敬意を抱いている。原野の真っ只中にある小さな沼までヨシ原をヤブ漕ぎしながらルートを作って釣りに行くなんてことは、そう簡単にできる業ではない。ことしは、林道で木に登った小熊に出会ったそうだ。小熊のそばには母熊もいたはずだ。そういったことをさらっと言ってのける。

 以前は、出狸化の名のごとくデリカバンで野宿しながら、ふたりで釣り歩いておられた。それが、退職してこの2年ばかりは、定住型になった。去年は中川、ことしは兜沼だという。古い教員住宅や農家の空家を安価な借り賃で借り受けて、夏場は道北の住人になった。まずそういった物件は不動産屋などにはないので、出狸化さんがいかに田舎の人びとと懇意にしているかが分かる。しかも農繁期には、ブルドーザーを操り、農家の牧草ロールつくりの手伝いまでやっているというから本格的だ。きっと酪農家にはたいそう重宝がられていることだろう。

 宗谷へ遠征にくる釣り人のほとんどが、週末などの短期間釣行型であるが、出狸化夫妻はもっと長期間滞在型であり、地に足が着いてる。道北に長く居住していると、土日はむしろ竿を置いてのんびりし、稚内に買物に出たり、映画を見たりする。釣り人のいない平日のほうが、釣れる確率はグンとあがるし、そもそも釣りに毎日がつがつする必要もない。

 出狸化さんは、大物釣りの自慢話はしない。大物はほとんどバラシの話題で、「うちわのような尾びれを見せて去っていった」などというロマンあふれるたのしい表現をしてくれる。「朝、合流点に行くと、30センチのウグイに襲い掛かるイトウがたくさんいますが、全然釣れないのです」。大物も小物もたくさん釣っているはずなのに、表現は非常に謙虚である。

「あした帰ります」

出狸化さんはちょっとさびしそうに言った。冬場は都会で暮らし、夏が来ると車に釣り道具と少量の生活道具を乗せて、またふたりで道北にやってくる。まるで渡り鳥のカッコウやカワセミのように軽やかだ。

 私はいま宗谷の住人だが、近い将来には、出狸化夫妻のような長期間滞在型の釣り人になることも魅力的だと考えている。なにしろ25年間も稚内に住んでいるから、釣り場はよくわかっている。友人知人もいる。60台半ばになって仕事はもうあんまりしたくないが、イトウ釣りはライフワークなので、宗谷をあちこち徘徊することは止められない。いま「南極から幻の魚イトウへの人生旅」と題してときどき講演活動をさせてもらっているが、その人生旅が、田舎暮らしでさらにおもしろい展開をみせるかもしれない。