第220話 履歴書 |
私は履歴書を書くとき、職業上の履歴のほかに、かならず阿部幹雄との共著を書き込む。イトウ釣りに関する2冊である。ということは、私はイトウ釣りを仕事の一部とみているからである。 初心者のころは、イトウ釣りは趣味であった。しかし、釣行をくりかえし、研究を重ねて、しだいに釣果があがった。釣具会社のシマノがスポンサーになって、釣り番組を作ることになったとき、私は趣味のイトウ釣りを放棄した。 撮影釣行がはじまって、スタッフが集まってみると、私以外の人びとは、全員プロであった。ディレクター、カメラマン、録音技師、連絡調整員そして阿部幹雄。それぞれの専門の仕事で生計をたてている人びとだ。彼ら全員、ひたすら私がイトウを釣り上げるのをいまかいまかと待っていた。 ふだんは比較的たやすくイトウを釣っていた私にまったく想定外の重圧がかかった。私が釣らなければ、彼らは仕事ができない。しかしそんなときに限って、自分本来の釣りができず、魚はなかなかヒットしないものだ。 「神さま、仏さま、キリスト様、アラー様きょう1匹だけでも釣らせて頂戴」 密かに祈りながら、必死でロッドを振り、ルアーを操った。祈りがつうじて、やっと70pほどの中型イトウが釣れたとき、私は重圧から解き放たれ、涙がでるほど喜んだ。そのとき私からアマチュアの甘えが消し飛び、精神的にはプロとなった。 「責任を果たした。仕事をした」とおもった。 さて履歴書に話を戻そう。履歴書を書くのは、就職試験を受けるときや、講演会に呼ばれたり、刊行物に略歴を記すときなどである。私は仕事上で人を採用する際に、大人数の履歴書を読むこともある。一枚の紙切れに、人ひとりの半生が書かれている。学歴、資格、住所、家族構成、趣味などが丁寧に書き込まれている。 その趣味の欄に、自信たっぷりに得意技を書き込んでくるような人には、面接試験でそれを聞くことにしている。受験生とはいえ、得意技をしゃべらせたら、硬さもほぐれて能弁になり、本音を口走るからだ。 「趣味の川釣りとは、具体的にどんな釣りをやるのですか?」 「フライです。毛ばりをつけた糸を長い竿で振って、ニジマスを釣ります」 「宗谷にはイトウという魚がいますが、フライで釣ることができますか?」 「イトウは『幻の魚』と呼ばれていて、釣るのはむずかしいでしょうが、釣ってみたいとおもいます」 私は内心にやりと笑いながら、受験生の人となりを記憶に刻み付ける。 この春から私は職場での役割が変わる。世代交代で代表者ではなくなるが、まだ稚内には居続ける。組織内の異動なので、べつに履歴書は要らない。おそらく、私はこれが職業人生の最後の年月となる予定なので、もう履歴書を書くことはないのかもしれない。 そう遠くない未来に、私の職業は釣り師といえるようになるだろう。ただし、プロとして釣りで生計を立てる力があるわけではない。釣りや関連産業でめしを食うこともない。 それでも釣りは、大きな生きがいとなるにちがいない。朝から晩まで釣りのことを主に考え、川に通い、なん匹かの魚を釣り、その記録をつけ、満足して帰宅して眠るシンプルライフ。つまり、いま夏場の休日になるとやっている一日を、毎日やることになるだろう。 |