冬にイトウを釣る。そんな馬鹿なことは、ふつうの釣り人は考えないほうがよい。それは技術的
にも精神的にも至難の業であり、はげしい消耗と危険をともなう。単なる釣りを超えた宗教修行に
近い世界ともいえる。しかし私はなかば凍った初冬の川で1匹のイトウに巡りあうことをイトウ釣
りの究極と位置づけている。
「冬の1匹のイトウは、雪のない季節のイトウ10匹に相当する」
私はかつては、あえて冬の1匹のイトウを手にするため、あらゆる困難に立ち向かうことを喜びと
してきた。さすがに50歳を過ぎて、結氷しつつある川に立ちこみ、いつ食いつくか分らない魚を一
日かけて探すのは肉体的につらくなってきたが、いまでもやっている。写真家の阿部がやってきて、
ちょっと刺激的な冬の写真を撮りたいといったときにかぎるが。冬といっても、河川がすべて全面結
氷してしまったら、私の得意なルアー釣りにはならない。私は氷に穴を開ける「穴釣り」は性に合わ
ない。だから、冬のイトウ釣りといっても、12月上旬までの開水面のある時期の釣りである。しか
し、阿部の取材によると、サハリン西部のアインスコエ湖では結氷してから、「穴釣り」で2mにも
達する巨大魚を釣るのだそうな。その釣法は知らないが、一種のはえ縄漁ではないかと思う。
気温が氷点下に下がると、雨はもう降らない。降ると雪になる。雪はいくら降っても、野山に積る
だけで、ふつう川の水位は上昇しない。したがって、冬に増水して、川に立ち込めないということは
ない。その代わり北国の川は、その岸辺から徐々に中央部に向かって表面が凍結し把持始める。最初
は、ザクザクした脆い氷であるが、だんだんしっかりした氷盤に育っていく。川中には、氷の赤ちゃ
んともいえるフラジルアイスがふわふわと漂っている。フラジルアイスは流倒木や岸辺の氷にからみ
ついて徐々にしっかりした氷に固まっていく。驚いたことにフラジルアイスの中に小石が混じってい
ることがある。小石が水面直下をふわふわと流れるのだから、釣り師はびっくり仰天する。しかし雪
氷学の専門家に問い合わせると、これにはアンカーアイスという立派な名前がついている。川底で生
まれたフラジルアイスが石を含んだままはがれて浮かぶそうだ。学者といわれるひとびとは、なんで
も知っているものだとあらためて驚嘆した。
川の両岸から結氷し、真ん中に開水面が存在し、なおかつ釣りになるのは、完全結氷直前のわずか
10日間ばかりの期間であるから、この釣りは地元の釣り人しかできない。冬の川に出かけるとき、
私はやや厚着になるが、基本的には夏とおなじフィッシングウエアで突入する。そうとう覚悟がいる。
誤って冬の川で泳ぐはめになったら大変だ。なにしろ水温は氷点に近いのだから。岸辺から2mばか
り張り出した氷盤の上をおっかなびっくり伝い歩いて目的地に向かう。氷盤上には、寒風が創った芸
術でろうか、同心円状の模様ができる。これに冬の鈍い斜め光線が当たると、アイヌ模様にも似たし
ぶい深みのある模様となる。
目的地に着くと、やおら川のなかへザンブと踏み込むのだが、しっかり水深を把握しておかないと、
氷水のなかで泳ぐはめになる。川底に着地すると、いつもと変わらず上流にむかってキャストし、移
動しながら釣りあがっていく。ときには、両岸から張り出した氷盤がくっついてしまっている個所も
あるが、そういうときは手や足を使って砕氷し、進んでいくのだ。私は元南極観測隊員であるから、
その辺の要領はよくわかっている。こんなにしてまで釣って、掛かるのはたいていがアメマスである。
アメマスは本当に低温に強い。肝心のイトウは数が少ないこともあるが、冬の川ではめったに掛から
ない。掛かったら、広い川底から砂金を拾うようなものであるから、喜びもひとしおである。冬のイ
トウに巡りあえるのは、川のごく限られた場所だけである。私は2ヵ所しか知らないが、そこは、支
流との合流点で、おそらく水温が他よりほんのわずか、多分1℃くらい高いのである。そんなわずか
な違いで、小魚が集まる。そこへ大魚も餌を求めて集まってくる。だから冬のイトウは一ヶ所に群れ
ていることが多い。
2000年11月末、阿部とともに完全結氷を前にした川で、イトウを4匹釣ったことがあった。
1匹釣って満足していると、阿部が「まだいますよ」という。そこで半信半疑また竿をふると、また
1匹来た。もう大満足して帰り支度していると、「まだいそうですよ」という。それでまさかと思い
つつルアーを投げると、またヒットした。一ヶ所で3匹というのは、イトウ釣りではほとんど奇跡的
な釣果である。そんなことが、冬の川で経験できるなんて、信じられないが、これは釣りの神さまが
「よくぞこんな厳しい季節にやってきた」とごほうびをくれたに違いない。
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