207話  五月雨の土曜日


 5月最後の土曜日は雨だった。せっかく期待していたのに、出鼻をくじかれた気がした。それでも川へ行って、いきなり深場に立ちこんだ。肝心の合流点には遡行できそうにないので、対岸に渡った。自分と鹿の足跡しかないことにホッと安堵した。濡れそぼる湿地にヤチブキの群落がひっそりと咲いていた。まだ植物の繁茂がないので、川岸の見通しがよい。ヒグマがいてもかなりの距離から分かるはずだ。

 この日、せっかく釣った40pほどのイトウをタモの中に入れて、いざ体長を計測しようとしたら、ワクを跳び越えて逃げられてしまった。くやしい。その後27pの小学生を釣ってやっと気を取り直した。

 雨の中でも釣りは楽しい。川辺を長く歩いて、魅力的な渕や合流部が現れると、立ちこんで探りをいれるが、なぜがどこにも魚はいなかった。まだ季節が早すぎるのか、それとも魚の生息数が減ったのか。先客の足跡はまったくない。

 川辺のシカの足跡は、すさまじい数だ。実際に眼にする個体も多い。ある程度間引かなければ、樹木の被害も甚大なものになろう。牧草地のわきには、丹頂のつがいがいた。去年も見た二羽だろうか。道東から移住してきたのだろう。観察者との安全距離は保っているが、人には慣れているようだ。美しい丹頂は宗谷でももっと増えてほしい。

 9時になって、別の水系に移動した。やっと水中に立ち込める水位になったが、まだ若干深い。水のなかでつま先だって、キャストを繰り返し、じりじりと遡行する。瀬が渕頭に移行する「絶対ポイント」に着いた。ここにはいつも良型が居つくが、まだ季節が早いかもしれないと思いながらルアーを一投した。ラインを巻いてくると、急にブレーキがかかったように抵抗が増し、あの独特の首振り動作が伝わってきた。やっぱり居たのだ。ことし初めての大物だ。私はその強い引き、ほとばしる水柱、かいまみえる魚体に興奮した。半年ぶりにやっとイトウ釣りの醍醐味を思い出した。徐々にイトウとの距離をつめ、魚が浮上して動きが緩慢になったところで、腰ベルトからタモを抜き取り、ネットに入れた。80p・5.5kgの良型で、非常にうれしかった。これで釣り師の魂に火がついた。

 雨の中をさらに釣り上がると、二つ目の深場が待っていた。まもなく深くて動けなくなったが、その場からの上流への遠投で、核心部にプラグが届いた。ゆったりゆったりと引いてくると、ゴンと衝撃がきた。あきらかなイトウのあたりで、今度も重々しい強い引きだ。しかし、たったいまイトウの扱い方を思い出したばかりだから、余裕をもって引き回し、結局は落ち着いてタモにすくいいれた。81p・5.4kgでうっすらと婚姻色を残したイトウだった。

 雨のなかで奮闘したので、いささか疲れてしまった。さらに川中を行く意欲が萎えてしまったので、ひと息いれるために、温泉にでかけた。さらに町で散髪にも行った。やっと雨があがったが、釣り師はもう川に立つことはなかった。

 肌寒い気候条件下ではあったが、納得のいく釣りをして、その余韻に浸りながら、駐車場に車を停めて魔法瓶のコーヒーを味わった。豊富に新装開店したパン屋・夢工房の菓子パンがうまい。満ち足りたいい気分である。

2012年のイトウ釣りをはじめてから、小中学生イトウばかりを釣ったが、この日ようやくイトウらしいイトウにめぐりあった。匹数も今季10匹となり、5月の目標をクリアした。まもなく黄金の月6月を迎える。どんな釣りのドラマが待っているのか、期待に胸がふくらむ。