206話  春先の週末釣行


 雪解け増水で膨れ上がった川が、徐々に減水して、ササ濁りになると、釣り師は心が騒ぐものだ。半年も竿をふっていないのだから、むずむずと腕が鳴るのを抑えることができない。一日になんども河川情報の水位をチェックして、あと何日で目標の水位に落ち着くかと予想する。

 この時期に川に立つ釣り人は少数である。大部分の釣り人は、河口や海岸に立っている。イトウの会にも毎日のように、海のサクラマスを狙って出陣をくりかえしている通がいる。狙いどころを熟知している地元民であっても、そう簡単に釣れるわけではなく、1匹釣れれば喜んでいる。

 川は減水傾向にあるのだが、前日に雨がふると、10pほど水位があがる。そのわずかの水位上昇で、川に立ちこめなくなる。ある合流点では、対岸から釣るのがよいが、対岸に渡るのがひと苦労となる。私は爪先立ってなんとか対岸に渡った。対岸にヒトの足跡はない。ミズバショウとヤチブキが咲いて美しい。さて、どう釣るか。泥の岸辺を慎重に下って、川中に微妙なバランスでかろうじて立った。陸に戻るときにつかまる木も不可欠だ。

1投目を15mほどキャストし、引いてくるとみごとに魚が食いついた。うれしやイトウだ。27pの小学生で、かわいい。どんなに小さなイトウでも居てくれるとほっとする。1匹釣って安心し、場所を変えて本格的に川中に立った。存分に遠投できるが、まだ水位が高いので自由には動けない。陸に上がるにも泥でウエーダーが滑って滑落してしまう。なんとかかんとか支えになる木枝を捜して、腕力に頼ってあがる。

最初の立ちこみ場所に帰って、そこで数投したら、手元近くでヒットした。今度は30pのイトウで、ちゃんとルアーの腹フックに掛かっていた。こうして、30分ほどの間に2匹のイトウを釣ると、快調さに鼻歌がでる。

つぎにひと山越えた異なる水系に移動した。もうこちらは、すっかり平常水位に安定している。ちょっとクマの気配のするヤブを抜けて、入川した。緑の深場が流れ込む渓流で湧き立っている。いかにも魚が居そうだ。上流側からキャストすると、3投目で食った。34pのイトウだ。

こうして小中学生イトウは釣り上げたが、そろそろと思う大物の気配がしない。もう産卵を済ませた成魚はとっくに下流や河口に下って、体力回復のため荒食いをしているのだろう。ただし、そこはまだ泥濁りである。

その日は国道40号をたどって旭川までドライブした。夜に仕事があり、駅前のホテルに泊まった。翌早朝、買物公園を2往復のランニングをやり、その足で帰途についた。右手に大雪連峰が朝日を浴びて輝いていた。私も若いときに登山に明け暮れていたので、山を見ると熱い思いが甦る。だがいまは山ではなく川の人になっている。

宗谷に帰り着いて、きのうの川をもっと長く歩いた。しかしどうしたことか、先客の足跡もないのに、まったく魚の気配がないのだ。最後のポイントが不発で、車に帰ろうとしたら、釣り人が川へ降りてきた。あいさつもしない。駐車スペースに戻ると、彼は私の車のすぐわきに停めている。「ここは小さな川で、先に入釣しているから、来てもだめだよ」という駐車のサインが読み取れないのだろうか。それとも誰かいるポイントでしか釣りができないタイプの人なのだろうか。

 最後に私のとっておきの場所に湿原を横切って進入した。枯れたヨシ原を歩くとふわふわして、体力が奪われた。まだ立ちこみできる水位ではないので、陸からの拾い釣りとなったが、一度だけでかいのが掛かって、まもなくフックアウトした。外れなくても、泥の岸辺では取り込みが難しかっただろう。樹木の丈が短くて、見通しがよい川岸の原野をたどって、車に戻ってきた。ずいぶん汗をかいて、身体は水分を欲していた。お茶をがぶ飲みした。

 春先の週末に大釣果は望めない。しかし春らんまんの原野を縦横に歩いて、湿原や森を眺めその匂いをかぐと心が洗われる。これが長いイトウ釣りシーズンの序章である。