205話  加藤会員去る


イトウの会の設立メンバーのひとりであった加藤基義会員が18年居た稚内を去ることになった。故郷の都会での就職が決まり、栄転でもあるので、私は祝福したが、いっぽうで古くからの仲間が欠けるのはとても寂しい。

彼は釣りにも、イトウの会ホームページの運営にも一家言をもつこだわりの人であった。

加藤はイトウの会では数少ないフライフィッシャーマンである。「なんでわざわざ釣れないやりかたでイトウを釣るのだ」とよく聞いたものだが、じつはそうでもないらしい。イトウの聖地では、フライはルアーに遜色ないほどよく釣れるのだという。おそらく河畔林などの障害物のない川であれば、ゆっくり疑似餌を引くという点ではフライが勝っているのかもしれない。彼にはお得意の釣り場があって、イトウの存在を確認しながら、サイトフィッシングをやる。ときには1ヶ所で4匹も5匹もイトウを釣るので驚いたことがある。

イトウの会の掲示板で論争が起きて収集不能になりかかったとき、きわめて常識的に会の方針を述べたり、リセットするのはほとんど彼の役目であった。ホームページの掲載や削除の作業は彼が中心になってやっていた。常に正論を吐く人格者ではあるが、宴会になるとよく羽目を外して酔っ払い、かん高い奇声を発したりした。幸せにどこまでも酔う愛すべき人物なのであった。

イトウの会会員とはいえ、彼はニジマスも好きで、以前はよく道東の河川にまで遠征をしていた。立派なフローティングチューブをもっていて、人知れず止水の沖合いで竿を振ることもある。案外孤独な釣りが好きなのだろう。

加藤の送別会を兼ねたイトウの会開幕祝宴を511日にいつもの串姫煮太郎で開催した。この店の奥まった小あがりは掘りごたつスタイルになっていて、十人前後の宴会にはまことに心地よい。そこに会員14人が集まった。新たに加わった病院外の会員がふたりいた。ひとりはヒグマさえ逃げそうな屈強な男性で、もうひとりはなんにでも好奇心を示す元気な女性であった。

イトウの会の宴会となると、かならず幹事の川村が趣向を凝らせた企画をする。今回は、リンゴが丸ごとはいったビン酒を、イトウの会のロゴマークが刻まれたグラスに注いで乾杯となった。主役の加藤の釣りシーンを写した大判のポスターも登場した。彼が愛した釣り場で、立て膝で構えるロッドが半月にしなり、水面には大きなイトウのつくる波紋が浮かんでいた。イトウの会から加藤への特別のプレゼントは、フライボックスで、レーザーによる小さな文字で寄せ書きが記されていた。

加藤は「(イトウの会を)辞めるんじゃなくて、宴会には必ず来るから」となんども強調した。それが可能かどうかは分からないが、これからは外部からイトウの会を刺激してもらえばよい。

人は誰もがいくつかの事情をかかえて生きている。稚内のような辺境の地にいつまでもいるわけにはゆかない人生の進路や家族の事情がある。それでも稚内で仕事をこなしながら、この地ならではの趣味の組織を創り、主要メンバーとして活躍してくれた功績は大きい。私は加藤の将来に幸多かれと祈った。

宴の夜は5月中旬にしては寒かったが、会員には温かくこころよい時間がいつの間にか過ぎていった。23時をまわって宴はお開きとなった。翌日は川へ出陣のため3時台に起きる予定の私は、さらに巷をさまよう若者と別れて家路についた。