203話  開幕まじか


 明けぬ夜はなく、来ない春もない。

 2012年の冬は予想外に寒く、積雪も多かったが、季節が巡ってようやくおそい春が来た。野山の雪解けが進み、川が解氷して、くろぐろと水の流れが現れる。川を覆いつくした氷に亀裂がはいり、氷塊が岸辺から離れると、河畔の木の枝やヨシを載せたまま、畳のような大きさのままくるくると回転しながら下流へと流れゆく。川がこうしてダイナミックな動きを見せると、「いよいよシーズンが来たな」と私の胸も高鳴る。

 春を待つのはイトウ釣り師だけではなく、イトウも春を待っている。雪解け大増水した川を遡って、上流へ産卵に遡上する機会をうかがっている。ことしの積雪量からみると、雪解け増水と遡上産卵の時期は遅れると予想するが、しかし過去の経験では毎年自然の営みはそんなに変わりがない。多分、宗谷の河川では、黄金週間のころイトウは産卵をするはずだ。

 イトウを好む者はまずイトウの産卵を見て、生命を引き継ぐ荘厳な営みに頭を垂れることが肝要だ。私の釣り仲間はみな黄金週間には源流部に足を運んで、産卵を観察する。釣りまくるだけではイトウを愛するとはいえないだろう。

残雪を踏みしめて、川をのぞきながら源流へと歩くと、タイミングがよければ、なんらかの遡上イトウのサインが見られる。小滝を素早く越えたり、小さな渕のわきで、体力を温存していたり、浅瀬に背びれを出してすり抜けたりする。

 黄金週間の産卵前夜のころ、宗谷の河川の中流部には、産卵遡上するイトウを狙う釣り人が竿を振るポイントがある。産卵前の個体を痛めつける行為が、産卵に影響を与えないと考える者はいないだろう。まったく身勝手な行為であり、糾弾するに値する。あと1週間か2週間待ってやれないのだろうか。

 釣り開始はまだ先だが、落ち着かないので、釣り道具をいじりはじめた。正月ころに釣具店を廻って入手したルアーやフックが山ほどある。ロッドやウエーダーやネットもひとつひとつ手にとっては感触を確かめる。おそらく、リールは錆びつき、ラインはこわばって手に負えないかもしれない。それらは今シーズンの開幕日に向けて、潤滑油を注ぎ、新たにラインを巻きなおそう。ウエーダーには小穴があいているかもしれないから、最初の立ちこみには覚悟が要る。

イトウの会には、冬の間にシカの角を利用してイトウ用のネットを作っている者がいる。私はやったことがないが、ワクを曲げるのも、網を編むのはけっこう時間がかかるそうだ。開幕前にできたら見せてもらおう。

車載の食糧も新たに積みなおす。冬の間にお茶やミルクティなどは、なんども凍結、解凍を繰り返しているので、変質しているかもしれない。それでもいいが、美味くはなかろう。チョコレート、羊かん、カットするめ、帆立の貝柱など行動食も揃えなければならない。

車は車検が終わったばかりだし、燃料も満タンだ。自動車免許証は更新手続きと講習を済ませ、あとは期日に警察署で新しい交付を受けるばかりだ。(なんと稚内では、更新申請から交付まで1ヶ月半もかかる)。

釣り仲間はどうしていることだろう。こちらが黙っていても、遠征してくる人びとからは、連絡があるだろう。冬が明けると、無性に旅がしたくなり、人に会いたくなるものなのだ。

こうしてじりじりしているうちに、春が落ち着いたたたずまいに変わる。雪が音もなく消え、花がいつのまにか咲きはじめる。なにごともなかったように、われわれのイトウ釣りは日常になる。