第200話 イトウ談義 |
「イトウおじさんの話」が第200話に到達した。こんなにつづくとは想定していなかったので、自分でも驚いているが、お付き合いいただいたゲストのみなさんにも感謝している。 イトウ釣り仲間とイトウ談義に耽っていると時を忘れてしまう。イトウの会の宴会もそうだし、でんすけで遠来の釣り人と酒を酌み交わしているときもそうだ。その会話を文字化したら、「イトウおじさんの話」はとめどなくつづくだろう。漫画家の矢口高雄さんと対談したときは、食事をはさんで、6時間もイトウだけを熱く語りあった。 単にイトウ談義といってもジャンルはけっこうひろい。イトウという魚、その生態、イトウを育む環境、観察と保護、釣り方、釣り道具、釣り場、イトウをめぐる人びとなどかぎりがない。われわれは釣り人なので、やっぱり釣り談義が中心となるし、それが一番楽しいし内容も深い。 釣りの自慢話をなんどもしていると聞き手に愛想をつかされる。 「おれを川に立たせて、右手に竿を持たせてみろ。この人はふだんグータラしているが、本当は天才だったのかと惚れなおすぞ」 というと、 「その話はなんども聞きました」と軽くあしらわれてしまった。同じことを10回以上言ったそうだ。 イトウをめぐる人びとの思い出は尽きない。いっしょに川の旅をした写真家の阿部幹雄とは最近会う機会がない。メーターイトウはおろか、90p級だって釣ったことがない新米釣り師によくもつきあってくれたものだ。しかしそのころは、フィールドが原始河川ばかりだったので、危険だがおもしろい経験が山のようにあった。深みにはまってよく泳いだ。魚と竿とラインを介して、小さなエリアで魚と釣り師がジルバを踊った。そのころのイトウ釣りがいちばん楽しかった。 本波幸一さんとも大河でよく並んで竿を振った。ほとんど彼が先に釣るので、私が抱っこ写真の撮影をした。私が91pを釣ったときは、彼が撮影してくれた。その魚のランディングの際、私の操作が悪くて、本波さんがくれたロッドを折ってしまった。彼は一瞬悲しそうな表情をしたもののすぐ「竿は消耗品だからいつかは折れます。すぐ直しますよ」と言ってくれたのには、救われた。 フィッシングカフェの撮影をやり、私に81pがヒットした。番組で最大魚の撮影が無事終わって、スタッフを含む6人で意気揚々と川から上陸した。女性スタッフとの合流場所に戻ってくると、なんと1台の車が牧草地入り口の溝に転落していた。呼びかけても彼女はいない。 「もしかして、彼女は車の下敷きになっているのか」と一同血相を変えたが、そこにはいなかった。じつは、彼女はJAFに連絡したものの、自分の居場所を説明できなくて、林道をてくてく歩いていたのだ。 釣り番組の撮影は、なんといっても釣り師が釣らないことには、仕事にならない。チームで唯一の釣り師である私には、相当なプレッシャーがかかったが、なんども「天の助け」が起きて、結局3日間で4匹のイトウを釣った。ディレクターには、撮影本番に強いとほめてもらった。 しかし上には上があるもの。本波幸一さんは、解禁直後のサクラマス釣りの番組で、川全体で多数の釣り人が、5匹しか釣れなかったのに、そのうちの2匹を彼が釣ったのだ。プロの面目躍如である。 「イトウ愛好者はイトウに似てくる」といったのは阿部幹雄だが、的を得ている。顔も性格もイトウに似てくる。イトウはニジマスやサクラマスなどと比べて動きが鈍重だが、耐久力がある。横顔は精悍ともいえるが、正面から見るととぼけたなまず顔だ。性格は稚魚のころは仲間と群泳するが、成魚になると孤高を好み群れない。釣り師になんど釣られても懲りずに疑似餌に食いつく。こういうイトウ愛好者たしかにいる。 イトウ談義は尽きない。「イトウおじさんの話」もマンネリ化してはいるが、釣りをつづけるかぎり、ネタが尽きることはない。またみなさんにはおつきあいをお願いしたい。 |