野生鮭研究所を主宰するイトウ研究者・小宮山英重さんといっしょに川を歩くという企画がもちあがった。仕掛け人は相棒の阿部幹雄である。釣り師の私がイトウを釣り、研究者の小宮山さんがその場でイトウを計測し、写真家の阿部が撮影する。三人の持ち味を発揮できれば、たいへんユニークな仕事が野外でできるのではないかと考えたのだ。 かねてから小宮山さんを釣りに同行したかった私は即座に賛成した。彼も興味をもったらしく、遠い根室標津町から駆けつけることになった。
6月下旬の早朝、私と阿部の乗った4WDと小宮山さんのバンは、役場の前で落ち合った。彼は、ほとんど睡眠なしで夜どおし運転し、宗谷に到着したのだ。
「やあ、よく来ましたね」
「楽しみにしていました。よろしくお願いします」
あいさつもそこそこに、二台で下の下のヨシ原に向かった。二台の車を釣りのコースの入口と出口に配置して、三人で川へ向かって小道を歩いた。三人はもともと北大出身のアルピニストである。川歩きの脚力、身のこなしなど不安はまったくない。こういう釣行は自分以外の心配は無用なので最初からとびきり楽しい。
私はいつものように川の真ん中に立って、竿を振り、ルアーを飛ばしては、リールを巻いた。阿部はその様子をVTRカメラで撮影した。小宮山さんは、鮎釣りに使うようなタモをたくみに操って、小魚やえびなどを採取しはじめた。バチャバチャと岸辺を探り、魚好きの川ガキがそのまま大人になったような熱心さだ。
魚はなかなか出なかったが、そのうちに24cmの赤ちゃんイトウが釣り師のルアーに食いついた。ホイと小宮山さんに魚を渡すと、待ってましたとばかりにタモで受け取った。
まずはメジャーを取り出して、イトウの全長、尾叉長をミリ単位で計測だ。次に体重の測定だ。水をいれたナイロン袋に魚を入れ風袋ごとバネ秤で10g単位まで読む。あとで魚なしの風袋を測り、引けばいいのだ。魚が大きいと、さすがにナイロン袋には入らないので、目の粗い巾着口のついた網袋に入れて同じように測る。このあとは魚の口を開口させて、オスメスを判定する。下顎の歯並び、肉の盛り上がりと、身体の黒点の密度で、雌雄が大体わかるのだそうだ。ここまでは、素人の私にもやればできることだが、このあとはプロの技が登場する。
小宮山さんは、魚の体側の側線部付近で、魚の鱗をピンセットを用いて10枚くらい採取した。魚は少し暴れる。研究者によると痛いそうだ。取った鱗はその場で、顕微鏡観察する。よくもまあ川旅に顕微鏡などもってくるものだ。鏡検しながら、鱗の年輪のような輪の密生度を読み、年令を言い当てる。「1年魚のときは成長がよかったが、2年魚のときにあまり育っていない。その年に川の状況が悪かったのだろうか」などと指摘もする。
ここまでで、魚はリリースしてもらえることもあるが、大きくて見てくれのよいイトウなら、阿部が撮影をはじめる。魚体全体、横やら前からや背中からなど各方向から写し、顔やヒレや皮膚のアップも撮る。ときには釣り師もいっしょに「抱っこ写真」も撮る。
私は、魚の弱り具合を注意深く観察しながら、水から出したり入れたりする。釣ったあとの釣り師は、いちばん冷静である。熱中する研究者や写真家からときには魚を取り上げて、水に浸け、弱るのを防ぐ。私は臨床医だから、必要ならすばやく人工呼吸もやる。操作はヒトの場合とは異なるが、やることはいっしょだ。酸素をやればいい。つまり、魚の頭をきれいな上流側に向け、尾びれの付け根を持ち、胸びれの下で魚体を支えて魚を前後に揺すり、鰓に充分清水を送り込むのだ。
こうして、三人の仕事が無事おわると、釣り師がリリースする。魚が困ぱいして、倒木の陰などに逃げ込み、そこで動かなくなることもよくある。触っても逃げない。そんなときは、また阿部が水中ハウジングをもって接近し、水中写真を撮りまくる。その執拗さが、傑作を産むのを私は何度となく見てきた。
すべてが終わると魚は晴れて解放され、ヒトはそれぞれに満足した面持ちで立ち去る。
6月下旬の二日間、それぞれ五十歳を超えた釣り師・研究者・写真家の三人はすっかり童心にかえって、川を歩き、はしゃぎまくり、釣る・調べる・撮るといった自分の役割もしっかりこなした。三人ともちゃんと仕事をしたのだ。こんな有意義な川旅はめったにできるものではない。
イトウは全部で7匹釣れたが、最後の2匹は、72cm・11歳と82cm・12歳の大物であった。イトウ研究者にとってはイトウのサイズは二の次で、各種のサイズすなわち各年代の魚が出るのが理想だろうが、釣り師とカメラマンは明らかに大物を喜ぶ。それがふたりの本能であるからだ。
最後に小宮山さんが総括した。
「この川はまだ十分にイトウが再生産できる川です。しかしこの川の自然環境を保全できないと、イトウはすぐにいなくなってしまいますよ」