195話  晩秋の苦闘


毎年のことであるが、晩秋ともなると、イトウが釣れない。これは私だけではなく、一般的な釣り師はみなそう感じていることだろう。

宗谷の晩秋とは、10月下旬から11月いっぱいで、まだ雪景色にはなっていない季節と仮定しよう。氷雨が降ったり、雪が舞ったりするが、季節の進行は行きつ戻りつで、目まぐるしく変化する。川の水位は高めで、水温は10℃を下回り、徐々に下降していく。たまにはおだやかな小春日和もあるが、たいていはどんより曇り空で、すっきり晴れることは少ない。

釣り師の立場から言うと、もうシーズンが残り少なく、悔いを残したくないので、せっせと川に通うのであるが、釣果はなんとも寂しいかぎりだ。しかもヒグマの出没情報が頻繁で、安心して竿をふる場所が人里近くに限られてくる。人里といっても、デントコーン畑などはかえって危険なのだが。

この季節になると北国では落葉樹の葉がどんどん落ちて、樹木が裸になっていく。それによって河畔林の見通しがよくなり、ヤブ漕ぎの苦労もなくなる。雨で湿気を帯びた濡れ落ち葉を踏みしめながら、土手を歩いて川に入る。水位は高く、ササ濁りの様相なので、大物が居そうな気がするが、なかなかそんな魚には遭遇しない。誤って深みにはまると、10℃以下になった水の冷たさがえらくこたえる。

10月下旬の土曜日、かなり深くなった小河川に立ちこんだ。いつもイトウの付くポイントで魚信がないので、あてもないまま釣りあがった。すると、カツンと軽い手ごたえで、魚が掛かった。見ると痩せてはいるが、れっきとしたイトウ33pである。3年魚くらいなのだが、この川は餌が乏しいようで発育がよくない。正確には鱗で年齢を確認し、体重を測ればいい資料にはなる。しかし釣り人にそこまでやれといわれても、なかなか余裕がない。

別の中河川の大場所に移動した。ここもかなり危うい深さで緊張する。水中でつま先立って胸までの水位だ。ディープと名づけられたプラグで水底近くを泳がすとつぎつぎに枯葉がひっ掛かる。しつこくキャストしていると、プラグの尾のフックに28pの小学生イトウが食いついた。すばやく写真を撮って、水中に放した。

大場所の核心部までルアーが届かないので、一度川を横断して、対岸によじ登り、上流に移動してあらためて泥浜から水中に入った。こちらも予断を許さない深さである。このまま釣りをつづけるときっと泳ぐはめになると感じた。そんな状況のなかで、こんどは23pのイトウが来た。プラグの腹のフックにスレ掛かりしたのだ。どんなに小さくてもイトウはイトウである。素直にうれしい。

鳥の羽音が聞こえたので、見上げるとオオヒシクイの群れが乱れたV字編隊で南へ飛んでいく。彼らはきっと刈り取ったあとの牧草地に降り立って、餌をあさるのだ。

水中に限界まで立ちこんでいると疲労感が増してくる。昼近くなって、もう立ちこみ釣りは断念した。より下流に車を走らせると、ポイントに釣り車が停まっている。札幌ナンバーの車だが、よく見かける車だ。この川の愛好者なのだろう。

結局、原野の「首」と名づけた川の狭部で竿を振ることにした。イタドリの枯れ木を踏み倒し、川縁の釣り座にたどりついた。魚の習性は面白いもので、川のどこに居てもおかしくないのに、いつも同じところでヒットする。それは、岸辺のヨシの根本の浅場なのだ。MM13を遠投し、水底をこすりながら引いてくると、ドッと水柱があがり、こんどはかなりの手ごたえの魚が掛かった。65pのきれいなイトウである。

こうして晩秋の川で苦しみながらもイトウが4匹釣れた。これ以上を望むのはぜいたくというものだろう。