192話  どしゃ降り


 札幌に出張していた私は、日曜日の朝、宗谷に帰還するべく街を出発した。インターネットの「河川情報」では目的の川は、着実に減水していた。宗谷に戻るころには、最適な水位に落ち着くはずであった。長い間増水していたので、誰も立ちこみ釣りはできないはずだ。川では腹をすかした手つかずのイトウたちが、ポイント毎によだれを垂らして待ち受けている。入れ食いに遭うかもしれない。私は興奮していた。

 ところが宗谷に着いて、前方を見るとそこだけ分厚い暗雲が居座っているではないか。川に着いて車を停めるころには、もうポツポツと雨が落ちはじめていた。風も吹き始め、ただならぬ荒れ模様の雰囲気だ。

 「札幌から5時間も運転して、さあこれからだというときに、なんたることか」と落胆したが、とりあえず車内で待機した。雨が小止みになったところで、勇んで入川した。水温10.3℃、ササ濁りで、水位は多少多めというところで、とりあえず釣りあがりは可能だ。

 なかなか魚信はなく、だんだんと川が深くなってきた。有力ポイントが近づいてきた。なんとかあそこは試したい。ウエーダーの上から浸水するのを感じながらガマンして、所定の場所に立った。

 「居るはずだ」と信じて、キャストをくれた。第1投は不発だが、わずかになにかが触った気がした。第2投はまるで反応がない。第3投は最高のポイントに投入し、静かに、息をひそめて、ゆっくり引いた。「さあ来い」とつぶやいた瞬間、重量がかかった。そのまま引きつづけると、竿の穂先がおじぎをした。「魚が乗っている」。そこで二度、合わせをくれた。水中で魚が下流に走った。雨のなか、ギリギリの深さの川での肉弾戦である。上流へ下流へ、右岸へ左岸へと走り回る魚をいなし、かわし、ブレーキをかけ、やっと奔走を止めた。浮上したイトウは良型で、よく肥っていた。できるだけ浅い場所のほうが、処理がしやすいので、腰深の下流まで引っ張っていって、タモ入れした。

 切り立った右岸に魚体を押し付けるようにして計った体長は80p、タモごとバネばかりで計って、風袋を引いた体重は5.6kgあった。

そのとき、やにわに雨の勢いが強まり、打ちつける雨粒で川面が全面あばたと化した。ゴーと激しい雨音が響き、滝に打たれたように、あっという間に濡れねずみとなった。一目散に大木の下で雨宿りしたいところだが、まだタモのなかにはイトウがいて、写真撮影も果たしていない。私はスコールのなかで立ったまま20分間も雨の止むのを待ちつづけた。

暗雲が東へ去り、日が射しはじめると、嘘みたいに風景が明るくなった。写真撮影したイトウは、すみやかに逃がした。川はすでに泥濁りと変わり、水位も若干高くなってきた。まだまだ有力ポイントがあるので、私は遡行を開始した。だが明らかに水勢は増し、一歩一歩に水圧が重くのしかかり、前へ進みづらくなってきた。

「これは鉄砲水の前兆だ」と判断し、すぐに岸辺の低いところから陸地に這い上がった。フィッシングベストの各ポケットから貯まっていた水が滴りおちた。川には小枝が流れ、10分もすると渦巻く濁流となった。川を去るタイミングを失ったら、濁水に飲まれるところであった。

農道をとぼとぼ歩いて車に戻るころには、すっかり天気が回復し、晴れた空にオオヒシクイの群れが南へ飛んでいく。雨に濡れたススキの穂が光に反射してキラキラと輝く。二番草の牧草ロールが広い草地に転がっている。私はおだやかな秋の風景を満喫しながら、ついさっきの濃密な時間を思い出していた。