183話  寒い5月


ことしの宗谷は季節の進行が遅い。514日になってまだ雪が舞うありさまだった。当然雪解けは遅れ、雪代がいつまでも残り、イトウ釣りシーズンが遅れた。

川の周辺ではよく朝霧が発生する。陸地の気温は氷点前後だが、水温は58℃くらいあるので、川から立ち上る水蒸気が、陸上の冷たい空気に触れて霧が発生するのだ。

それでも季節は進行する。いつものようにミズバショウが咲き、ヤチブキが咲き、やっとチシマサクラが咲いた。日本のサクラ前線終着駅はことしも稚内だった。

 さてイトウ釣りは、57日に濁流のなかで今季イトウ第169pがヒットした。寒い気温から考えると早い第1号だった。それでもとんとん拍子に第2号は出なかった。

次の週末14日には東風がビュウビュウと吹きまくった。断続的に雨が降り、夜には雪に変わった。その日なにを思ったのか、一羽の丹頂鶴が上サロベツ原野の草地に舞いおりて、土中のえさをついばんでいた。散布された有機肥料のなかにミミズでもいるのだろう。翌15日は五月晴れとなり、遠征して婚姻色をほんのり残したイトウ第271pをやっと釣った。

このころまで防寒対策にウエーダーの下にタイツをはき、フィッシングジャケットの下にはフリースを着た。指だし手袋もつけた。首にはネックウオーマーを巻いた。なにしろ気温が1℃の寒さだったのだ。

さらに次の週末も曇ときどき雨と天気には恵まれなかった。それでも川の水位はやっと立ちこみが可能なレベルに下がってきた。水温は7℃台である。太陽は差さないが、しっとりと濡れた湿原の美しさは格別だ。去年のヨシは枯れて白く、新生の緑はまだ色浅い。丈の短い下草が萌える河畔は歩きやすく、見通しもよいのでヒグマの心配もしなくてすむ。その中を湿原河川がコーヒーブラウンの独特の色合いでゆったりと流れている。私は一年中宗谷の湿原を見ているが、この季節の清楚な湿原が一番気に入っている。

5月下旬だというのに牧草地には霜が降りて、ウエーダーで歩くと足の甲の部分が真っ白になってしまった。歩いた足跡は日が差すまできれいに残る。こんな日がつづくと、牧草の発育も悪くなる。

宗谷の真冬はそれほど気温が下がることがないが、初夏の寒さはさすがに日本最北の地だと思わせる。首都圏から来たトラコさんは、あちらの気温は27℃もあって稚内の真夏、こちらに来たらほとんど0℃で車のなかでダウンジャケットを着たという。5月にはヤチブキ、アイヌネギ(ギョウジャニンニク)などの山菜採りに宗谷の原野に入る老人が、道に迷ってよく凍死する。作業服くらいしか着ていないで、この季節の夜を原野で明かすのは無理なのだ。

21日の昼になって湿原は多少温かくなった。すると中学生イトウが2匹たてつづけに来た。こういうサイズのイトウが現れると、3匹に1匹くらいは、大物が飛び出す。22日の午前中、遠投したプラグに待望の重々しい当たりがあり、大物イトウの首振りも伝わってきた。渕の真ん中で81pをタモですくった。さらにこの日は湿原河川をたどるうちにS字渕で中学生と高校生イトウが出た。一日3匹は最近ではめったにないので、非常に満足した。

寒い5月ではあるが、川にはいつのまにか例年どおりイトウが静かに泳いでいる。釣り師は防寒着を身に着けてせっせと川に通うことになる。