181話  イトウ産卵


 毎年黄金週間が来ると、イトウの産卵を観察に出かける。最近では独りで出かけたり、釣り仲間といっしょに見にいったりしている。以前は随分気合をいれて、車を捨ててから1時間もあるく深山に突入したが、いまはできれば近場で楽に見たいと省エネ観察をもくろんでいる。

むかしはイトウの産卵を見るには、ヒグマの出没を心配しながら残雪を踏んで源流をめざすのがふつうだった。産卵場所までの道すがら、エゾアカガエルのケロケロ鳴く声、キツツキの枯れ木を突くドラム音、エゾシカの群れ、ミズバショウとヤチブキの群落、高く澄んだ青空など宗谷の自然の森羅万象をたっぷり味わったものだ。

 しかし探せば案外人里に近い幅2mから5mの小河川で、イトウは産卵をすることを知った。要するに産卵に適した砂利床の瀬や渕があれば、そこでさっさと次の世代を残したいというお手軽なイトウが育ってきたのかもしれない。

 それに複数の観察者でイトウ探しにでかけるという楽しみも覚えた。いずれもイトウ釣りの名手で、メーターイトウを釣った人びとと、小沢をのぞき込みながら、「いた!メーターはある!」などと歓声を上げるのもいいものだ。最近は年齢を重ねて眼も動きもわるくなった私に代わって、若い人びとがさっさとイトウを探してくれる。

 「下の淵に1匹と、上のホワイトウオーターの中に1匹います」なんて教えてくれるので、「どちらが写しやすいか」「絵になるのはどっち」と判断するだけでよい。

 それに山の中でもケータイがけっこう通じるので、すこし距離があると、情報がケータイで飛びかう。複数のヒトが分かれて探すと独りのときの何倍も効率がいい。

 2011年の黄金週間は、晴れ・雨・雪・雨・晴れと天気がめまぐるしく変化した。晴れ以外は観察にも撮影にも適さないが、雨が降るから川は増水し、増水した川を遡ってイトウは上流に昇ってくるのだから、文句は言えない。

観察にカメラは必携だ。私のはすこし古いデジタル一眼レフD100だが、若い人びとはもっと廉価で機能のよい新しい機種を持っている。水中の堀行動には偏光フィルタが要るが、澄んだ水ならフィルタがないほうが明るくてよいこともある。確実に映せるのはDVD撮影機で、むかしの五分の一くらいの大きさで、しかもフルハイビジョンだという。でもDVD映像はなぜかたった1回しか見ないものなのだ。

 観察の圧巻は残雪にくっきり刻まれたヒグマの足跡だった。まだ新しく、すぐそばでイトウを見ていたわれわれを、ヒグマは遠めに眺めていたのかもしれない。足の幅を測ると21pもあり、かなりの大物だ。笑ったのは、ひとりがヒグマ除けににぎやかなロックを流したのだが、私は言った。

 「ロックの好きなクマだっている。かえって寄ってくるよ」

 黄金週間はまだ雪代の時期だ。宗谷のたいていの川は増水し、茶濁している。見ただけで釣りに適さないことはわかる。遠来の人びとには気の毒だが、イトウは産卵の遡上と堀行動とオス同士のバトルなどで疲れているのだから、そっとしてやってほしいものだ。せめて産卵ピークが過ぎたころ、下流で竿を振りはじめるのがよろしい。黄金週間がすんでから、まだ釣りシーズンはたっぷり8ヶ月もあるのだ。

 黄金週間は半日イトウ観察をして、いつもアイヌネギを摘んで帰った。コンビニでくれるナイロン袋に半分も採れば十分で、お浸しやバター炒めで食べた。翌日に仕事がなければ、これは元気の素だ。