窓の外には、大粒の雪がとめどなく降っている。これは大量に積もって根雪になりそうな
案配だ。川の結氷も着実に進んでいるにちがいない。今年のイトウ釣りもついにオフシーズ
ンがやってきたようだ。5月から12月まで長らく楽しませてもらったが、もうそろそろ川が
完全結氷して、釣りは解氷までの間、約4ヶ月のお休みである。毎年のことだが、川釣り師
は川で竿を振れない冬場をどうやって乗り越えるかと途方にくれてしまうが、それなりの過
ごしかたはできる。
まずは自慢話である。イトウの会でも冬場になると急に居酒屋での会合が増える。竿を振
れないうっぷんを飲み会で晴らすわけだ。うまい酒とうまいサカナをまえにすると、川での
うれしかったり悔しかったりした出来事が、数倍に増幅されて語られる。要するに釣り自慢
のほら話であるが、これがしゃべる方も聞く方もじつに楽しい。釣りができない季節の過ご
しかたはこれに尽きるかもしれない。
つぎに執筆活動である。どんな魚釣りの名手であったとしても、釣っただけで終わったら
伝説の人となり、しばらくすると忘れ去られる。釣り師の記録を残すためには、ジャーナリ
ストとしての仕事も果たさなければならない。自慢の釣行は、あまり寝かしておくと風化し
てしまうから、すくなくとも早いうちに文章化して残しておくべきである。釣りで一年間に
撮りためた写真は膨大なものである。2003年までは、すべてポジフィルムで撮っていたの
で、スライドフィルムの整理が面倒だった。しかもフィルムは確実に保管場所を占有する。
そこで、思い切って2004年から一眼レフデジカメで記録することに変更した。カメラ本体
は高価なので、入手には決断が要ったが、その後の写真処理費がほとんどかからず、結果的
にはたいそう割安になることが分かった。しかも、写真はデジタルであるから、すぐに液晶
画面で見ることができるし、プリント化も保存も自宅のコンピュータで簡単にできる。しか
も写真の質は劣化しない。デジタルカメラへの切り替えは大正解だった。
釣魚のデータ整理もけっこう時間がかかる。一年間で釣った100匹内外のイトウをさまざ
まな数字で振り返るのは楽しい。日時・天気・水温・場所・ヒットルアー・ヒットしたフッ
クの位置・魚の体長などデータはけっこう詳細である。これに体重と鱗からみた年齢と性別
が加われば、立派な論文が書けるだろう。しかし釣り師にそこまでは求めても無理だ。釣っ
てからリリースまでの時間は短いからだ。論文を書くには、釣り師と研究者がペアを組まな
ければならない。これらのデータをみながら、イトウの生息状況や環境問題を考察する。過
去10年間のデータとの比較もする。そうするとある程度イトウの命運が推測できる。
イトウの講演会をやることもある。私は釣り師だからあくまでもその立場での話である。
お客さんは、ほぼ全員が釣り人である。だから私の話からなにか釣りの参考になるヒントを
探そうとする。どこで(where)、いつ(when)、いかに(how)釣ったかの順に知りた
がる。そりゃそうだ。それだけ分かれば、竿を持って駆けつければだいたい釣れると思うだ
ろう。しかし現実はそんなに簡単ではない。イトウ釣りの場所も季節も釣法も奥が深いので
ある。
アウトドアマンとしては、川が結氷して釣りができなくても、川を見に行きたい。冬に結
氷した川の上をスキーやスノーシューで歩くという方法も以前はやっていた。しかし氷を踏
み抜いて死にそうになった苦い経験があり、最近はあまりやっていない。いっぽう植物が繁
茂して夏はたいそう厄介な場所も、冬なら容易に踏査できるのも事実である。釣り師だけで
はなく、氷の下のイトウも、冬眠中のヒグマも春を待っているのだ。フィールドを歩くと野
生の生物たちの心臓の拍動が聞こえるような気がする。
冬の間にこつこつと手作業をやるという実益のある過ごしかたもある。ルアーを作る、フ
ライを巻くからはじまって、魚のカービング(木彫)、魚の陶芸までくるともうアマチュア
のレベルではなくなるだろう。ちなみに私は100pのイトウの多方向写真をプロの画家と陶
芸家に見てもらって、それぞれに試作品の製作を依頼した。どんなイトウが創られるかと今
からわくわくして待っている。
外は吹雪で、雪が塊になって降っている。烈風がうなっている。そこはかとなく憂愁のた
だようなかで16時前だというのに日が暮れた。これからの長いオフシーズンを有意義に過ご
そうとおもう。