第178話 大震災 |
2011年3月11日に起きた東北関東大震災の震度は、さすがに宗谷では感じられなかったが、札幌では相当揺れたそうだ。震災の全容が明らかになるにつれて、なん人かの友人の安否が気になりはじめた。しかし、安否のどちらであっても、大変な状況であることにちがいないので、私のような赤の他人が容易に電話やメールできるものではない。それに有線、無線のどちらにしてもつながるものではなかったのだ。 テレビで繰り返し放映される三陸海岸の各市町の惨状には言葉がでなかった。瓦礫の山という表現は月並みだが、家や車や船やありとあらゆる残骸が、土砂といっしょくたになって混沌とした風景を形作っていた。規模はまるでちがうが、2002年に稚内の中央地区で大火災が発生した翌朝の光景と似たところがあった。 稚内の大火事のことはよく覚えている。写真家の阿部幹雄と撮影釣行をして稚内に帰ってきたが、サラキトマナイの峠を越えたところで、前方に太い煙が立ち昇っているのが目に入った。 「高木さん、あんなところに風呂屋がありましたか」と阿部が聞いた。 「ないよ」 「するとあれは火事ですね」 「そうみたいだね」 「かなり燃えていますから、僕は取材します」 阿部は速やかに報道写真家に戻って、現場に急行した。私は病院に駆けつけて、救急外来の隣の看護師控え室に陣取り、やがて到着するであろう熱傷患者を待った。 火災は複数の区画が全焼する大火事となったが、不幸中の幸いで死者は出なかった。生死をさまよう重症患者もなかった。 翌朝、阿部とふたりで現場を見にいったとき、「おそらく爆撃された戦場とはこんなものだろう」と思った。それから9年が過ぎ、火災あと地には、ホテルやショッピングセンターが建ち、傷跡はまったく残っていない。 震災から3日目の夜、釣友からメールが届いた。三陸海岸に住む彼は、ホームセンターで買物中に、強烈な地震に見舞われた。揺れが収まったところで、すぐ駐車場に停めてあった車のラジオをつけると、津波が来るから逃げろと言う。もちろん急いで逃げたら、まもなく駐車場まで津波が来たそうだ。 彼の家は高台に建っているので、大丈夫だった。電気も通信も不通になったが、暖房は薪ストーブなので、支障はなかった。夜にはコールマンのランタンを使った。なにより食料備蓄が1ヶ月分あった。 アウトドアマンらしい普段からの準備で、彼自身に大きな被害はなかったが、地域は厳しい事態に陥っていることだろう。 未曾有の災害の爪あとが癒えないいま、釣りのような不要不急の遊びについて彼に声高に話すのは、自粛したいが、こういった釣り好きの人が茫然自失のとき、いちばんやりたいのは無心の釣りなのかもしれない。 日本最北の街に住む私にできることは、復興を祈ることと義援金を送ることぐらいしかおもいつかない。それでも、「雪が解けたら、しばらく俺の家から釣り場に通うのもいいよ。どうせ部屋が空いているから」と言ってはやれる。 大震災があっても、季節は巡る。宗谷には雪解けの雪代を遡って、イトウは産卵にのぼってくる。私はことしも残雪を踏んで、かれらの姿を見にいこうとおもう。かれらに人類の歴史よりはるかに長く、幾多の災難を克服してきた生物のしたたかな強さを感じるからだ。 |