172話  奇跡の陸釣り


 11月下旬といえば、例年の宗谷ではもう初冬である。ところが、2010年のことしは、異常に温かい日々がつづいた。太陽が輝き、気温も10℃を上回るありさまだ。ぽかぽか陽気の小春日和といえる日が3日以上もつづいていた。

「これはイトウが釣れるかもしれない」

土曜日の朝、期待して川へでかけた。さすがに夜明け前は冷え込んでいるが、日の出とともに、ぐんぐん温かくなっていく。秋の川は、ふつう枯れたモノトーンだが、日が差すとヨシ原は黄金色に輝いて、まばゆいばかりになる。ヨシを映す水面もしっとりと粘りけがあって、さざ波ひとつない。

 晩秋になると、さすがに川に胸まで立ちこむのはためらう。水位が若干高いのと、浸水したら水が冷たいからだ。そのため、釣り場はどちらかというと下流域となり、陸から竿をふることになる。河畔の草木が朽ち果てているので、見通しがよく、キャスティングがたやすい。

釣り人の姿もない釣り場を、ひとつふたつと渡りあるいたが、魚信がまったくないまま時間がすぎていった。気がつけばもう正午をまわっていた。このままでは、ボウズの予感がする。

そこで、以前よく通って、大物の居つく場所を知っている小河川に行ってみることにした。河畔に着くと、水位が高くて、水中に立ちこむことは到底できない。増水のため川のポイントが消滅して、居つき場所が判別しがたいが、慎重に流れを読んで、ここだと同定した。

「落ちるとやばいなあ」と感じたので、泥炭の釣り座の具合を慎重にたしかめた。

「ここで掛けたら、ここへ誘導して、こうやってタモいれしよう」と手順を考えた。

一投目は上流側に放ったが、なにも起こらなかった。二投目は下流側にちょい投げして、リールをふた巻きもしたろうか、ズシンと抵抗がかかった。

「本当にいた!」

イトウは尾びれの大きさからけっこう良型だとわかった。ドラグをしっかり締めてあるので、ラインは出ない。走られたら、たちまちラインがヤナギの木に絡んでアウトだから、竿のパワーと釣り師の力で、コントロールするしかない。イトウが派手な水柱をたてて暴れまくると、ラインブレークの不安は増すばかりだが、竿がしなってよく持ちこたえてくれた。

魚が水面に浮かんで、激しく動かなくなると、いざタモいれのタイミングをうかがう。ことしは二度もタモいれに失敗して、逃がすという失態をやらかしたので、慎重に対処した。竿をコントロールして、魚の頭をこちらに向かせ、長径60pの楕円形のタモをを沈めて、待ち受けた。緊張の一瞬だが、スッとすくいとった。タモの中で魚はめちゃくちゃに暴れるが、私はすぐにラインを切断して、竿を遠ざける。あとは、魚の口とフックとタモ網の団子状態を、ほどけばよい。

増水した川のピンポイントにルアーを投入して、一発でヒットさせるなんて奇跡のようだが、これは過去になんどとなくイトウの居つきを経験しているからできることだ。

川が増水しても、減水しても居つきのポイントは同じだというのが私の持論である。そこは、どんな水位でも魚にとって居心地のよい場所なのだ。おそらく、イトウが隠れるにもよく、小魚を襲うにもよく、酸素も豊富で、陽光も直射しないような場所なのだ。

釣れた81p・5.1kgのイトウをリリースすると、私はすっかり気分をよくして、鼻歌まじりで車に帰還した。

「奇跡じゃないぜ、経験だ」とおもいながら。