167話  デンマーク戦中の大物


 ワールドカップサッカーで日本が健闘したので、おおいに盛り上がった。とくに日本が予選グループ突破を決めたデンマーク戦では、本田、遠藤の鮮やかなフリーキックゴールで日本中が湧いた。しかし私はそのころ原野を目指していて、テレビは見ることができなかった。NHKラジオでは実況中継をやっていたのだが、ラジオでサッカーのめまぐるしい実況を伝えるのはアナウンサーも難しいようで、どちらが攻めているかくらいしか分からない。

 私はまず非常に小さな川だが、たまに大物が来る小場所を攻めた。ヤナギと名づけたルートで、いきなり根がかりして、舌打ちしながら外しにかかったところ、なんと大きな鱗がフックに突き刺さっていた。つまり根がかりの前にスレでヒットしていたのだ。相手は賢いイトウだったらしく、根に魚体をすりよせて、フックを外し、なおかつ根がかりさせて去ったらしい。釣り師の完敗である。

 川から出て、車にもどりラジオをつけると、日本は2-0で勝っていた。私はつぎの釣り場に急ぎ、車から再び原野に突入した。すでに草地のイネ科植物は穂をつけ、さかんに花粉を飛ばして、歩くと白煙があがる。河畔林も伸びて、背丈より高い完全なやぶ漕ぎである。やっとのおもいで川に到達した。水位は減水して、湿原の川なのにまるで渓流の様相で、瀬や小渕がはっきりしている。

 ふたつある大場所のうち、一つ目はまったく沈黙した。いつ魚が出てもおかしくない雰囲気なのに投じたルアーはむなしく帰ってくるばかりだ。大場所からつぎの大場所まで浅い川中をとぼとぼたどった。

 最後のポイントは、このエリアの最大の大場所である。いやでも期待は高まる。大場所の中のベストポイントは最後にとっておいて、まずは周辺から攻めるのが定石である。複数のイトウがいるかもしれないからだ。慎重に順繰りに1mごとに扇形に探って投射したが、まったく反応がない。だんだんとあきらめムードが漂ってくる。

そこで、いちど大場所を通り越して、上流側に回りこみ、あらためて上流右岸側から攻めた。川の半分は倒木が塞ぎ、対岸側と手前側に流路がある。その対岸側の狭い流路にルアーを放り込んだ。ふた巻き三巻きしたとき、水面がボッと膨らみ、竿にしっかりと手ごたえが伝わった。やっぱり居たのだ、しかもかなりの大物が。

「よっしゃー」とひとりで叫ぶ。

イトウは鈍重な動きだが、独特の首振りでルアーを跳ね飛ばそうともがいた。釣り師はこれでもかこれでもかと後追いでしゃくってフックが完全に突き刺さるようにダメを押した。ときおりジュジューとドラグが鳴って、ラインが出て行く。最初の10秒間を乗り越えれば、まずキャッチできるので、安心して魚の疲労を待ち、魚体が水面に浮いたところで、「さてどうしようか」と思案した。体長は明らかにタモの口径よりずっと長く、すくうのは危険だ。下手をすると、ルアーの遊んでいるフックが網にひっかかり、肝心の魚が網の外にこぼれる。そこで、ちょっと距離があるが、砂利浜まで曳きずることにした。はじめは、ゆっくりと曳き、魚が暴れないのを確認すると、スピードをあげてザザーと陸揚げした。

むかしはタモを持たないで川を歩いていたので、いつもこの方式で取り込んでいた。しかし、なんどか大事なところでバラスはめに陥ってから、タモを利用することが多くなった。それでも、ずりあげるのが一番安全なのだ。

イトウは85p、5.1kgのなかなかの大物で、ことしの最大魚であった。さまざまな撮影を済ませ、澄んだ水に放つと、悠然と深みに去っていった。釣り師はガッツポーズの出るスマートな釣りであった。

車に帰ってラジオをつけると、日本は3-1でデンマークを破り、決勝トーナメントにコマを進めたところだった。私は今後なんども放映されるはずのテレビのゴールシーンを楽しみにしながら、帰途についた。