第166話 苦戦の6月 |
毎年6月は、イトウ釣り黄金の月であり、私にとっては、イトウの数釣りのドル箱月間である。それが、2010年は苦戦を強いられた。その原因のひとつは晴天つづきの気象であり、もうひとつは釣り師の腰痛である。 私の得意な釣法は、中流域の河川を川通しに歩きながら、大場所小場所のポイントを攻めていく立ち込み釣りである。川が減水していくと歩きやすくなるが、一方で魚はどんどん下流へ移動してしまう。魚にとって、水中が宇宙のすべてである。減水すると宇宙が小さく窮屈になる。広い宇宙を求めるのは人類とおなじで生物として当然のことだ。そのため、歩けど歩けど魚にめぐり合わないことになった。 腰痛は、以前からあったが、ことしはちょっと症状が厳しい。午前中は無理して歩くこともできるが、立ちっぱなしで午後を迎えると、そうとう痛み、下肢がしびれる。自分の好きな趣味に没頭していると、身体の苦痛など忘れることもあるが、肉体疲労が蓄積していくと、それこそ身体が悲鳴をあげる。釣りが苦行になったらもう止めるしかない。 そんな状況で黄金の月を迎えた。第1週の週末、週末は本波幸一さんといっしょに竿を振る楽しみがあったので、その前に数を稼いでおこうとおもった。結果は40、65、42pの3匹で、まずまずの出足であった。本波さんは、ひとりでキャストを繰り返していた。大河は濁り、波もあって、素人目には釣れそうな気配がない。それでも「さきほど90が出ました」と彼は語った。その日、私は彼のキャストをわきで眺めながら、あれこれと四方山話にふけった。 次の日は、風がでて、いっそう川面は荒れていた。私は数釣りに専念して、中小河川を渡り歩いたが、これが裏目に出た。私は1匹も釣れずに終わった。一日中、本波さんの横にいれば、彼の112p。15kgの巨大魚を拝むことができたのに。 第2週は、ジャングルと化した中流域の立ち込み釣りに没頭した。すでに廃道寸前の作業道を車で侵入し、道に覆いかぶさる樹木の枝葉で車は傷だらけとなった。土日で2匹づつ合計4匹を釣ったのはよしとしなければならない。69、63、50、33pの4匹である。 第3週は、本当に広いエリアを足を棒にして歩きまわった。その結果は70、52、62pの3匹である。案外上流の渕に1匹居たのには驚いた。体重の減少と肉体疲労の割には合わない釣果であった。 第4週は、ワールドカップ予選リーグ戦の真っ只中であった。日本がデンマークを破って決勝トーナメント進出を決めた朝、私は中流の原野を歩いていた。そのとき85p・5.1kgが出て、日本中が湧いていたとは別の理由で私もたいそう気分がよかったのだ。週末は上川の士別に野球の応援に出かけたのだが、その往復路で竿を振った。往路では、ジャングルの川中で85p・5.6kgのことしの最大魚が釣れて大いに気勢があがった。 復路は宗谷に帰還したのは、すでに午後で、天気は晴れて暑く、川は水温21℃を上回り、「モップ藻」が漂う有様であった。それでも1時間半のあいだに65、56、40pの3匹が釣れたのだから、よしとしなければバチが当たる。 こうして黄金の月の釣果は15匹で終わった。目標は20匹だったので、5匹足りない。1994年からことし2010年までの17年間で、6月の釣果が20匹を下回ったのはたった5回である。釣れなかったのは、釣り師の実力で、天気や体調のせいにしたくはないが、ことしはこれでも精一杯だったのである。 |