159話  2010年産卵観察


 2010年も遅ればせながら、宗谷に春が到来した。23月の積雪量が異常に多く、山にはたっぷり雪が残り、雪代がとめどなくつづく案配であった。それでも大型連休のころになるといつものようにイトウが産卵に遡上してきた。

 429日の昭和の日、稚内は小雨もようであった。あまり乗り気ではなかったが、とりあえず支度をして、手近な川へ行ってみた。中流の落ち口で産卵遡上イトウを狙う不届き者の車が数台とまっていた。

草地はまだ水浸しでまるで湿原のようだ。車で水浸しのなかに入ろうとして、スタックしかかり、慌てて脱出した。私の車は四駆なのだが、春先のイトウ観察ではときどきスタックの憂き目にあってきた。残雪や泥地に足をとられるからだ。

むかし相棒の阿部幹雄といっしょに車で林道を突き進み、最終人家から5qほどのところで残雪につかまった。彼に最終人家まで走ってもらい、トラクタの出動を願って引っ張り出してもらった。酪農家の人の好さが身に浸みた。謝礼金をどうしても受け取ってくれないので、コンビニまで走って一升瓶を買って届けた。その酪農家はすでに離農していない。懐かしくもほろ苦い思い出だ。

 さて車を捨て、源流へ向かった。まだ気温は5℃ほどしかなく、小雨が降り、風が吹くとけっこう寒い。それでも幅5mほどのおだやかな渓流に「赤いもの」を探しながら、ゆっくりと歩く喜びは、長い冬を乗り越えてきた北国の住人にしか解らない。フキノトウがあちこちで群落を作っている。水温は5.8℃だから、もうイトウが産卵してもおかしくない。ここの産卵場所は、流域わずか300mほどで、かならず産卵する瀬は2ヶ所だけである。それが判明するまで数年を要した。研究者の小宮山英重さんに教えたら、驚いていた。だれでも簡単に到達できる産卵場所だから、かえって他人には打ち明けることができない。捕獲者が出没するおそれがあるからだ。

 幾分濁りの入った川の上流限まで見て折り返し、下がってくると、魚影が見えた。80pメスと60pオスのペアである。まだ産卵場所への移動の最中であった。岸辺近くのブッシュ下に魚体を隠しながら、上流をめざしていた。

「ああ、ことしもやっぱり帰ってきたのだ」と、愛おしい気持ちがこみあげてきた。

 52日にもおなじ川に行ってみた。前日の雨と雪解けで川は濁りを帯びていた。それでも、きっとあそこにと予想した場所で、8070♂が産卵行動にかかっていた。フキノトウの群落に這いつくばってよい撮影アングルを探した。端からみるとなんと滑稽なおっさんの姿であろう。オスはなんどもメスをまたいで、産卵を促すが、メスはその気にならない。たまに思い出したように、身体を倒して、尾びれで産卵床にする穴を掘った。私は1時間ほどイトウにつきあってから、その場を離れた。

 ふとダム下を思い出した。稚内市の水がめとなるダムの落ち口へ行ってみた。珍しく流れが比較的透明で、ホワイトウオーターが静まるあたりに、イトウの大群が上流に頭を向けて定位していた。その数20匹、最大の個体はゆうにメーターを超えている。ときおり悠然と反転して、他のイトウを追いまわしていた。イトウの群泳は地元ではよく知られていて春の風物詩ともいえる風景である。集まっているイトウは、おそらくダム上の渓流で生まれた稚魚が、ダムから滑り落ちて下流で発育し巨大化したのであろう。本能に従って源流を目指そうと遡上してきたのだが、どうにもならない障害物の前で途方にくれているようであった。

 ことしもイトウは元気である。私は北の大地の自然環境が変わらないことに感謝した。帰路はいつものようにアイヌネギの群落に立ち寄り、その夜のおひたしの分だけ摘んで帰った。