138話  初 心


 すっかり忘れていたが、イトウが自分にとって真に「幻の魚」だったころをふと思い出す。イトウはそのころもきわめて少ない魚種だといわれていたので、自分にはそんな魚を釣ることは無理だろうが、いつかは釣ってみたいとおもっていた。

最初の1匹を釣ったのは、1989年11月4日の16時ころである。私は40歳であった。あの時の興奮と感動は一生忘れることはあるまい。イトウは体長60pで、いま省みれば随分やせていた。いまの私なら30秒もかからずにランディングする小物だった。そのイトウにさんざんてこずって、やっとのことで砂場にずりあげた。なにしろ60pもある魚を釣ったのは初めてであったし、写真でしか見たことのない天下のイトウだったので、感極まって脚がわなわなと震えた。

しかし、そのころすでに釣行に一眼レフフィルムカメラを持ち歩いていた私は、イトウ本体の写真はもちろん、セルフタイマーで抱っこ写真まできっちり撮っていた。撮影準備だけは怠りなかった。おそらくイトウを釣って写真に残すことが一世一代の快挙と考えていたのだろう。

いつかは野生イトウを釣ってみたいと、イトウの会ホームページをご覧になっているゲストには、初イトウの感動をぜひ味わってもらいたいとおもう。イトウを釣った達成感はそうとうなもので、1週間くらいはずっと幸せだった。年齢40にもなると、人生の感動もだんだん希薄になっていくが、イトウの第1号は、人生のうちで五本の指にはいる喜びであったとおもう。その証拠にそれから20年以上もずっとイトウを追いかけている。

1250匹以上釣ったいまでもイトウを釣るととてもうれしい。私は魚体の大きさは問わない。なぜなら小さなイトウを釣ることは、大きなイトウを釣ることと同様に難しいということが分かっているからだ。

まだイトウがほとんど釣れなかったころと、現在の釣行がどうちがうか。まず今は川の水位、濁り、水温によって釣り場を決める。可能性が低いとおもう釣り場ではやらない。釣行のコースで、いそうもないところは、どんどん飛ばしていき、イトウがいると思う場所は集中して攻めるなどめりはりをつける。大場所は、上流から下流から、岸から川中からとしつこくキャストする。

むかしも今も変わらないのは、釣り人が群がっているところは避ける。原則として単独行である。一匹のイトウを求めて長い距離を歩くことをいとわない。できるかぎり川中に立つ。そしてキャッチ・アンド・リリースする。

最近若いイトウ釣り師のみなさんと釣り場や居酒屋で釣り談義をすると、非常に刺激をうける。私は写真家・阿部幹雄との共著で2冊の本を書いたが、本を読んで私の釣行スタイルを受け継いで実践している人びとがけっこう多いうえに、さらに過激な釣行をしている人びとがいる。例えば目的地を決めれば、行けるところまで行って、日没になれば緊急露営してでも難所を攻略する。湿原のど真ん中にある未踏の小さな沼に、原野をかき分けて到達する。誰もが相手にしないような小さな川でイトウを釣ってみせる。大河の支流を1本1本探索していく。どれもけっして容易ではない。そんな痛快な話を「すごいね、やるね」と相槌をうちながら、聞き入ると、北海道開拓者魂もいまだ健在だと愉快な気持ちになる。

イトウをとことん追いかけてみようと決意したころ、私には立ちはだかる壁はなかったが、いまはいろいろと躊躇する。それが年齢であり、体力であり、立場であるのだが、初心に帰って、恐れを知らぬ青年に戻りたいとは常におもっている。