134話  2009年開幕


 ことしもイトウ釣りが開幕した。ゴールデンウイーク後半に入ったころで、川はまだ雪代増水が収まらず、泥濁りで渦をまいていた。一見して釣れるわけがないという状況であった。それでも、合流点とか雪代の入らない小河川とかを探して、一心に竿をふった。それが長い冬を過ごしてきた北国の釣り師には無性に楽しいのだ。

河畔の柳は芽吹いて、緑の色も鮮やかだ。湿原では純白のミズバショウに加えて、エゾノリュウキンカの黄色がまばゆい。天高くヒバリが鳴いている。残雪をまとった利尻山が、春がすみの洋上にそびえている。吹きまくるこの季節特有の南西風もなぜかうれしい。

この季節、海岸ではアングラーがずらりと並んでウミアメやウミサクラを狙って竿をふっている。いっぽう、川にはほとんど釣り人がいない。海のほうは一日で1匹くらい釣れるようだが、川のほうは釣果が限りなくゼロに近い。そんなことはよく分かっているのだが、私はあえて川岸に立つ。私は海ではなく川の人なのだ。

その日、居酒屋でんすけで、イトウ釣り開幕を祝って小宴を開いた。集まったのはおなじみのチライさん、横浜のトラコさん、Fujiさんと私である。まずは今季のイトウとイトウ釣り師の幸せを祈って、ビールで乾杯し、ついで焼酎黒丸に移った。

チライさんは、毎年のように極太のメーター級を上げているが、大物と潮汐の関係を深く研究している。トラコさんは、首都圏から年に10回以上も宗谷に釣りにくるが、一般的な釣り情報には見向きもせず、自分の足と竿でイトウを追い求める孤高の探索者である。Fujiさんは、イトウの釣り規制など道庁の動きに明るく情報を提供してくれるいっぽうで、イラストやブローチなどの製作といった手仕事の才能をもつ異色の釣り人である。そういった人びとのイトウ談義、釣り談義はまことに面白く、私には勉強になる。

かくしてことしのイトウ釣りが始まった。ゴールデンウイークの日々、私は宗谷管内から一歩も踏み出ることがなかった。毎朝早くから夕方まで精力的に動き回り、汗と泥にまみれ、肩も抜けよとばかりに竿を振り回し、ルアーを投げ続けた。しかし、イトウの神さまはつれなく、たった一度のかすり、たった一度のバイトもさせず、完璧に無視したのであった。

さて、ゴールデンウイークが終わって平常の仕事にもどり、早くもつぎの週末となった。残念ながら土曜日には出張が入って、都会へ行かなければならない。ただ時間があるので、宗谷で竿をひとふりすることにした。川を見ると、雪代は終わってササ濁りのおいしそうな色合いだ。水位も無理すれば立ち込める程度である。さっそくとある合流点から、できれば立ちこみ、無理なら岸辺からという具合で、釣りあがった。すると狭い水路で軽いがしっかり生命感のある当たりが竿に伝わり、上げてみるとかわいい魚がかかっていた。イトウだ。目を白黒して、びっくりしたような顔をした小学生イトウで、計測すると23pであった。これが私の今季第1号イトウであった。生後2年あるいは3年たった魚で、そういう世代が泳いでいることが健全な川の証なのである。

翌日、仕事を済ませて、車で戻ってきた。当然ながら、川を眺めながらのドライブである。橋の上から眺めると、もうすっかり平常水位で、川床が見えるほど澄んでいた。私は矢も楯もたまらず、ウエーダーを履いて、川に突入した。2ヶ所の釣りでは反応はなかったが、これで終わりと決めた3ヶ所目の入釣で、なつかしい渕に至った。下手から攻めてみたが魚信がない。そこで上手にまわって、ルアーを投入し、リールをふた巻きしたところで、ドスンと重圧がかかり、竿先が首を振った。

「これは明らかにイトウ」という強い引きを味わい、浮上した魚はなかなかの大物だった。慎重に引き寄せて背中のタモですくおうとしたら、調子が狂って魚体だけが外へ出て、遊びのフックがタモに引っかかるという最悪の事態になったが、しゃにむにそのままランディングした。72p、3.0kgのまずまずのイトウで、婚姻色はどこにもないギンピカ魚であった。これが今季第2号だ。

こうして2009年のイトウ釣りは両眼が開き、やっと本格シーズンに入ったのだった。