133話  イトウを釣りつづける理由


 魚釣りは古今東西広く深く多くの人がかかわる普遍的な行為だ。これほど普及した人生の喜びはあまりないだろう。

 私はイトウに長く深く関わってきた。

 私はなぜイトウを釣りつづけるのだろうか。

イトウ釣りの第一の面白さは、誰もがいうように魚の大きさである。すべてのイトウが巨大であるわけがなく、私の統計では平均が約50pなのだが、この平均値ですら日本の淡水魚では傑出している。イトウの場合、うまくゆくとメーター級の巨大魚がヒットする可能性がある。

メーターというのは、ボートなどの機動力を使わず、ルアー竿とリールだけで釣ることのできる限界に近いサイズだ。原始に近い川に立ち、川の規模とはアンバランスな巨大魚と対峙する喜びは、釣りの原点である。ヒットした瞬間の驚き、姿を拝んだときの畏敬の念、闘いの激しさ、手にするイトウの美しさ、いずれも第一級の感銘を覚えるだろう。

 いっぽう宗谷ではイトウはかなりポピュラーな魚だ。私には、幻の魚イトウの希少なイメージはない。なぜなら、私にとって一年でもっともたくさん釣れる魚がイトウだからだ。釣りは、釣れなければ面白くない。いつまでたってもまったく釣れない魚を狙いつづける根性は私にはない。宗谷では努力すると飽きない程度に釣れる魚がイトウなのだ。

 イトウについては、以前から「幻の魚」という冠詞がついていた。しかし、その根拠がはっきりと示されていない。50年前とくらべてなら激減しているかもしれない。だからといって宗谷で私がイトウ釣りを始めた20年前と比較して、イトウの増減を論じる科学的な根拠はない。そこで私は、イトウ資源の指標として、自分の釣果を記録しつづけて、データを残そうと考えた。そのためには、イトウを釣ってからリリースするまでの短い時間にできるだけのデータを採って記録する必要がある。私は南極観測隊にいたので、野外で記録をとる習性が身についている。それを釣りにも応用した。

イトウを釣った日時、場所、天気、水温、体長(大物は体重も)、使用ルアー、食いついたフックの位置、写真撮影までが必須チェック項目だ。そのほか魚に顕著な特徴があれば追記する。周囲の自然の状況も記録する。ウグイの稚魚がいたとか、エゾエンゴサクが咲いていたとか。この記録を1994年からつづけて、すでに16年目を迎えている。2008年までの釣魚個体数が1250匹だ。調査は千例を超えると価値が格段に高くなる。こうしてひとりの釣り師が、毎年ほぼおなじ条件で釣りをすることによって、イトウの生息状況をモニターできるという確信は、不動のものとなってきた。

私が長くイトウを釣っている理由のひとつに、相棒の写真家・阿部幹雄の存在がある。彼は宗谷の豊かな自然のなかでくりひろげられるイトウ釣りをずっとカメラとビデオで記録してきた。イトウという魚、それを育む宗谷の川は、じつに絵になるという。私の竿と彼のカメラが日本では他に類をみない「釣り天国」の画像映像を生み出すかもしれない。そういう阿部との共同作業の夢が尽きない。

イトウ釣りも面白いが、イトウを狙う釣り師たちも興味深い。佐々木榮松氏、草島清作氏、太田充幸氏から現代の本波幸一氏までの歴代名人、漫画家の矢口高雄氏、俳優の大地康雄氏、陶芸家の松尾昭典氏らの人びとは、いずれもイトウが縁でお会いしたり、手紙をやりとりした。イトウ釣りに熱中しなければ、こういった人びととの出会いはなかった。イトウで私の世界は広がった。いまもイトウの会をはじめ、幾人ものイトウ釣り師とのつきあいがあり、それが釣り人生をいっそうおもしろくしている。

私は地方公務員で、すでに還暦を迎え、職業人としてのキャリアは終盤である。仕事がなくなったらどうやって日々を過ごそうかと悩むことはあるまい。そのわけは、宗谷のイトウ釣りをはじめ、まだまだ見果てぬ巨大魚への挑戦が待ち受けているからだ。私にもっと自由な時間を与えてくれたら、私の釣りに国境はなくなる。それはそんなに遠い未来ではない。