132話  還 暦


還暦とは、干支が一巡し、起算点となった年の干支にふたたび戻ること。中略。日本における還暦の祝いでは、本人に赤色の衣服(頭巾やちゃんちゃんこなど)を贈る。かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われていたため、再び生まれた時に帰るという意味でこの習慣がある。(出典 ウィキぺディア)

 ことしの4月、私は還暦を迎えた。男の人生80年時代のいま、60歳はその四分の三である。競馬でいえば第四コーナーをまわるころだろう。勝ち馬は集団を抜け出してその卓越した末足を披露する場面だ。現在の60歳はまだ老人とはいえない気力体力をもっているが、これから徐々にスローダウンしていくのだろう。

私は団塊の世代の最後をかざる昭和24年生まれである。戦後まもなく生まれ、高度成長時代を支えてきた団塊は、数も多いが競争も激しい世代だった。小学校からして教室にすし詰めの授業を受けたし、入学試験はいつも倍率が高かった。いつも腹が減っていて、食事を残すなんてことはなかった。この団塊世代がいま定年を迎えている。

 私は病院という組織の管理者であり、最高齢者である。なぜなら、私より年上の職員は、すべて定年退職していなくなったからだ。最高齢者になると、若者はいたわってくれるらしい。私はそんなにジジイではないぞと強がっているが、パワーは心身ともにすこしずつ落ちてきた。

 4月3日、私の還暦祝いの宴をイトウの会のメンバーが南稚内のホテル御園でやってくれることになった。仕事を終えて行くと、さっそくロビーで記念撮影となった。写真係は、さいきん写真撮影に励んでいる川村謙太郎である。この時点では私の周辺にまだ赤いものはなく、一同は二段に並んで、まじめに写った。

 この宴では、イトウの会の会員がさらに1人増えて、計9人となった。イトウの会はいま勢いがある。とくに若いばりばりの実績を積み上げている実釣組が増えてきたのが心強い。還暦を過ぎた会長を釣果でもしのぐ人材がまもなく登場することであろう。イトウの会には、ほとんど釣りをやらない会員もいるが、ホームページ作成や宴会には欠かさず出席して、貢献してくれる。もちろん金庫番もいる。イトウに興味をもって集まっているのだから、釣りをやらなくても、やれることだけやればよろしい。そういった多彩なイトウとの取り組みがイトウの会の魅力なのだ。

 宴たけなわとなったところで、りっぱな厚手のガラス盾と鮮やかな赤のハンチング帽をプレゼントされた。ガラス盾には、私の釣った唯一の100pイトウの頭部と、私の斜め横顔がみごとに彫られ、記念文が英語で記載されていた。これを準備するには随分時間と労力と資金がかかっただろうとグッと胸が熱くなった。

赤色帽子はある程度予想はしていたが、かぶってみるとうれしはずかしである。赤帽は実釣に使えば、たぶん水中のイトウが10m先から認識するにちがいない。

 「さんざんイトウをいじめたあの釣り師もついに還暦となったか。そのうち老いぼれて野垂れ死にするだろうから、それまで付き合ってやるか」とうわさするのだろう。

 飲むほどに酔うほどに、ことしのイトウ釣りへの期待は高まっていった。60歳になって体力は下降線とはいえ、私には10年前、20年前にはなかった知識と経験があるし、川歩きの技術も身についているので、川中に立ちこんで釣るスタイルを変える必要もない。還暦釣り師は、ことしもいい釣りができそうだ。