131話  シーズン直前


 ことしもイトウとの交流がはじまる。日本最北の地で、なんどもシーズンを迎えたが、春の到来を感じるころになると、いまだにわくわくする。

 4月にはいって道路の雪が消えると、私はイトウの棲む川を見ながら、あるヤナギの枝を数本採りにいく。親指ほどもある大きなつぼみをもつヤナギが生えている流域があるのだ。その帰り道に、日本海岸に立ち寄る。河口部でウミアメ狙いで竿を振ってみる。海はおだやかに凪いで、いかにも釣れそうな気がするが、まだ1匹も釣ったことがない。

去年からはじめたシーズン最初の川釣りは、アメマスのえさ釣りである。ふだんならヤブで釣りづらい川でも、この季節なら雪を踏んで、容易に行ける。振り出しの渓流竿を伸ばし、1号ラインをフックに直結して、えさにはみみずを房掛けする。動のルアー釣りとちがって、静のえさ釣りだが、その静けさがじつに凛としていい。その代わり、魚が掛かると、キューンと糸鳴りがして、たいそうダイナミックな釣りとなる。リールがないので、魚の寄せと取り込みは、ルアー釣りよりはるかにむずかしい。40pほどのアメマスでも、大袈裟に竿をかついで、魚をタモ入れするまでまったく油断ができない。

4月半ばになると橋のうえから雪解け増水の川を見おろし、その水量をじっくり観察する。この冬は1月まで温暖で積雪量が極端にすくなく、これでは川が夏に干上がってしまうと心配したが、2月に記録的な雪がどっさり降って、その不安は消し飛んだ。茶色に泥にごりした激流が、あふれんばかりに流れて、流倒木や根付きのヨシの塊や氷塊などをいっしょくたにして下流へと運ぶ。とても釣りのできる状況ではないが、この濁水を遡ってイトウは産まれた源流を目指しているはずだ。

4月下旬になるとイトウが産卵に源流へ遡上する。毎年の恒例だが、荘厳な産卵放精の命の儀式を見ないことには釣りをするわけにはゆかない。毎年、産卵を観察するために遡行する川が3本はある。それぞれ水系が異なる。イトウの産卵行動には、なぜかきちんとした順番があって、ある川の産卵からはじまり、つぎの川、さらにつぎの川と決まっているのだ。おそらく太古の昔から、営々とつづいてきたしきたりなのだろう。

5月の声を聞いて、産卵もおおかた終了したころ、いよいよイトウ竿を振ることにしよう。何本もあるイトウの川のどこで初釣りをするかは、なかなか決めかねる。そこで、私はいつも自分の手に任せるのだ。どうしても選択を迫られる分岐点で、車のハンドルを操作する手が、勝手にいちばん行きたい方向へ動くのだ。あとは、釣り師の本能の命ずるままに行動すればよい。

毎年のことだが、こうして最初のイトウを手にするまでには、スタンバイしてから1ヶ月以上もかかっている。その間に川の様相は刻一刻変化し、風景も雪一色から緑の風景へドラマチックに変わる。この期間は野外のあらゆるものが絵になるので、竿よりカメラを手にしている時間のほうがはるかに長い。道端のフキノトウ、エゾアカガエルの卵塊、婚姻色のイトウ、白い雪原と青い空のコントラスト、蛇行する源流、雪原に残るヒグマの足跡、エゾシカの群れ。そういった被写体に一喜一憂、はらはらどきどきしてシャッターを押すのだ。

イトウ釣りを志すみなさんは、春が来るともう待ちきれないかもしれないが、ちょっと余裕をみせて、まずは道北の季節の変わり目を眺めて堪能すればよろしい。釣りシーズンは黙っていてもすぐそこにやってくるのだから。