イトウ談義でなんといっても興味深いのは、巨大魚話である。大鹿を呑みこんだ巨大イトウが死んで川をせき止めたという神話的な話、川を渡ろうとして丸太を踏んだらイトウだったという古典的な話はたいそう有名で、イトウ愛好者ならば一度や二度となく聞いたことがあるにちがいない。最近では、さすがにそういった荒唐無稽な話よりは、具体的な描写や、きちんとした数字が登場する場合が多い。イルカのような大きな背中を見せて泳いでいたイトウ。掛かったイトウが浮上したら大人の女の大きさだったという釣り人談。150cmのイトウが剥製屋に持ち込まれたというもっともらしい話。耳に届く巨大イトウの体長の相場は、だいたい150cmである。体重に換算すると30〜40kgはありそうだ。このたぐいになると、私はうーんとうなりながらも信じる。しかし今年はもっとリアルな巨大魚話が、信頼できる釣り師の友人からもたらされた。
まずはプロの本波幸一名人である。彼はことし春、100p、99p、95pのイトウを釣り上げたが、彼と相棒の小田氏が「メーター級よりもふたまわりはデカイのが、ルアーを追って目の前までやってきた。体長も体高もものすごかった」と語った。本波氏の眼は正確だから、おそらく130cmよりは大きいのがヒットしようとしたのであろう。掛かったらおもしろいことになっただろう。パワー抜群の巨大イトウと、当代一の大物釣りの名人がどんな闘いを見せるか、想像するだけでもわくわくする。本波名人の道具仕立ては完全にそういったまだ見ぬ巨大魚と対戦しても戦える仕様になっている。
「だって釣り師の一生に1匹来るかどうかの魚がヒットしたときに、ラインが簡単に切れたとか、リールのドラッグ機構が効かなかったといったミスで逃げられたら、一生の不覚でしょう。釣り師の技量が及ばなかったら、しようがないとあきらめがつくけれど」
私は彼のアドバイスで20kgまで計れるバネ秤を買った。メーターのイトウの体重はだいたい10kgなのだが、メーターオーバーを狙う釣り師としては、20kgまでは計れる道具を携帯する気合が必要なのである。もちろん竿、リール、ライン、ルアーのフック、さらにはスプリットリングやスイベルまでもおろそかにしてはいけない。巨大魚は釣り道具のどこを引きちぎっていくかわからないのである。私は2004年10月16日についに念願の100pのイトウを釣る幸せを味わった。そのときにメーター仕様で固めていた道具類は、10.4kgの大暴れする魚にびくともしなかったので、わずか5分でランディングすることができた。
短い竿や細いラインなどのライトタックルで魚とのゲームを楽しむというような考え方の釣り人には、メーターオーバーを狙う資格はないとおもう。繊細な道具でメーターオーバーが釣れる可能性はほとんどないだろし、かりに釣れたとしてもファイトに長時間かかって魚には致命的な疲労を蓄積するだろうから。
つづいて旭川のチライ氏である。彼は稚内の出身であるから宗谷の河川についての知識は、われわれイトウの会のメンバーとおなじである。その彼が先日宗谷の川で、55gの大きな潜るタイプの魚型ルアーを投じると、なんと一投目で根がかりした。うんざりしてロッドをあおったところ、根がかりした沈木が浮かんできたとおもったら、それがメーターオーバーのイトウだった。マグロのように肥っていたイトウは、大暴れして20lbのショックリーダーを切断し、ルアーごと持ち去った。
巨大魚話はそれだけでは済まなかった。
その日、彼が釣りをしていた川の土手では、作業員が築堤作業をしていた。大きなバリカンみたいな機械で草刈をしていた人が、こんな話をしてくれた。
「20年前のことだが、イトウに腕を切り落とされた人がいる」
「浅瀬で2m近いイトウがいたので、捕まえてやろうとして、その人はエラぶたから手をつっこ んで持ち上げようとしたところ、イトウが突然大暴れして、鋭いエラぶたで、腕がスパッと切 り落とされてしまった」
「腕をおさえてやってきた人の話を聞いて、イトウがいたという場所へ行ってみると、弱った当 のイトウがいたので、牧草作業用のフォークで頭を刺して殺した」
なんともものすごい巨大魚話である。その話を聞いて眼を丸くしているチライ氏が、眼に浮かぶようだ。私はその話を完全に信用した。それは魚のエラぶたが刃物のように鋭く、魚が胴体を揺らすことによって、まるで刈り払い機のような働きをすることがわかるからだ。大きな魚を陸揚げする際に、すぐにエラぶたや口の中に手を突っ込む癖のある私には、非常に教訓になる逸話だった。
時の経過とともに多くの人の口伝いに膨らみ尾ひれはひれの付いた巨大魚伝説は、それなりにおもしろく、私は大好きだ。いっぽう専門家でしか表現できないような語り口の巨大魚談義は、いっそう信ぴょう性があって、まことにわくわくする。そういった幻の巨大魚を、実際に釣って記録として残すことが、われわれイトウ釣り師の役目でもある。