128話  光通信


 2008年の秋、私の住む稚内中央地区にもやっと光ファイバーが敷設され、光通信ができるようになった。そこで2009年1月になって、私も高速光通信の恩恵を受けることになった。

その前は、いまや骨董品ともいえるISDNで、いちいちダイアルアップ接続でプロバイダのアクセスポイントに電話する形式で、インターネットやメールをやっていた。ホームページゲストのみなさんは、大半が光かADSLを利用しているらしく、「当然」という理解のもと写真添付の重いメールを送ってきてくれたが、これをISDNで受信するとえらいことになる。64Kbpsで延々と受信するのだから、1Mの写真を受けるのに15分以上も要して、その間に飯を食ったり、シャワーを浴びたりできるほどだったのである。なかには、イトウの抱っこ写真をダウンサイズしないで、送りつける人物もいて、1時間近くも要して受けたイトウ写真が可愛らしい中学生イトウだったりすると、力が抜けてしまったりした。

さて光通信には、光ファイバーの家屋内引き込みが必要だ。その作業に立ち会った。古い電話線の通る穴に強靭なガイドワイヤーをいささか乱暴に通して、ガイドワイヤーにからませた光ファイバーを逆方向に引っ張るのだ。じつは医療の世界の血管造影でも似たような作業をやることがあるので、私は興味をもって見ていた。「大丈夫かな?」と心配した。それが大丈夫ではなかったのだ。

ファイバーの敷設が終わり、ルーターを取り付けると、工事担当はさっさと引き上げた。別の業者がコンピュータに設定ソフトを用いて、光通信の設定をしてくれた。これが案外苦戦して、高速通信らしい動きになるまで、約1時間を要した。私に自分でやれといわれたら、一日かかっても試行錯誤を繰り返して、途方に暮れたことだろう。素早い動きの一番の障害がウイルス対策ソフトだそうで、こういう作業は、マニュアルにあるほど簡単ではないのだ。

しかし、とにかく光通信が開通した。私はすっかりうれしくなって、食事も忘れてPCの前に座り、夢中でインターネットのホームページをつぎつぎに渡り歩き、釣りチャンネルの動画を再生して巨大魚に見とれたりした。

イトウの会ホームページもさくさく感のあるスピードでチェックできる。以前には、クリックしてひと呼吸してから、新しいサイトの画像が立ち上がるのを待ったことを思い出した。

インターネットがすっかり面白くなり、興味あるサイトをつぎつぎに「お気に入り」に落とし、見るたびにそれらを渡り歩いた。そこまではよかった。

ところが、4日目の朝、インターネットと光電話がいっぺんに不通になった。前夜の宗谷が暴風雪もようだったので、もしかすると強風にあおられて、光ファイバーがどこかで切断されたのかと考えた。通信装置が故障すると困るのは、それを通信会社や工事会社に連絡する手段がなくなることだ。いまは携帯電話があるので、まだ救いがあるが、苦情相談電話番号などは、たいてい話し中ときている。私は稚内に住んでいるのに、相談する電話相手は札幌や旭川なので、事情を説明するのにひどく時間がかかる。工事をした業者や設定した人物なら、すぐにわかってくれそうなことを、会ったこともない人にいちいち説明するのに、疲れ果てた。

すったもんだの挙句、故障から4日目に工事業者が来て、光通信は復活した。やっぱり強引な引き込みで、光ファイバーが家屋内で切断されていたのだ。引き込み当日ではなく、しばらくたって使用しているうちに切断されたという奇妙な説明であったが、直ったので文句はいわなかった。

いまはすっかり光通信のつなぎ放題にも慣れた。通信のスピードのほか、いちいちダイアルアップ接続を終了しなくても済むというのが、非常に快感なのである。日常生活で変わったのは、情報をなんでもかんでも新聞や書物ではなく、インターネットで入手するくせがついたことだ。人物でも、地図でも、グーグル検索でやると、たちどころに詳細がわかる。ちなみに、自分の名前を検索したところ、えんえんと釣り師としてのウェブが並んで、医師としての欄がほとんどないのには、笑ってしまった。