125話  釣り写真の楽しみ


 現在のイトウ釣りは、原則としてキャッチ・アンド・リリースである。これをやらないと日本のイトウは、10年いや5年で絶滅するだろう。釣果をすべてキープすると、私だけでも年間100匹も減らしてしまうかもしれない。

 ではどうやって釣りを記憶にとどめるか。心に刻む、写真に残す、絵に描く、VTRやDVDに記録する、録音するなどの方法がある。しかし写真がもっとも手軽で、確実であろう。

 誰かに記録してもらうことができるのであれば、釣り師は釣りに専念できるが、ふつうの釣り師はそうはゆくまい。またプロの写真家やビデオカメラマンに撮影してもらうと、相当プレッシャーがかかって、ふだんの釣りの地力が出ないものなのだ。

 私はいま写真で記録を残している。一時はCCDカメラを帽子のつばに付けて、VTR録画を試みたがワンパターンで面白くないと視聴者の評判が悪いのでやめた。

 写真カメラはデジタル一眼レフである。デジタル一眼レフの長所は、フィルムカメラと性能に遜色がないこと、多撮可能なこと、即時に液晶で見られること、コンピュータとプリンタを用いて自分でプリントできること、機材さえ購入してしまえば経費は安価であることだ。私はもうフィルム写真を撮ることは考えてはいない。

 写真といっても、イトウ本体だけではなく、ファイト写真、抱っこ写真、イトウを育む川、なにげない風景などバリエーションに富んでいなければおもしろくない。私は、川風景を写し、つぎにその風景の中で釣り上げたイトウを出す。こういうリズム感は大事だろう。

 釣りの季節感も大切だ。冬の氷の川、春の産卵、初夏の黄金の釣りの日々、夏の大物、秋の哀愁のある風景。そういったバリエーションをバランス良く撮影しようと心掛けている。

ことしも「第15回イトウ写真展」を11月から12月の間開催した。写真展は毎年やって、15年目を迎えた。私にとっては、前年の冬から本年の10月までのおけいこ事発表会ともいえる。ともすれば殺風景な病院のロビーが、素人のつたない写真展でもひとときの安らぎを産むこともある。

イトウ写真展の出来は、その前の釣果に左右される。いくら上手に写真撮影しても、モデルのイトウが貧弱であれば、ひとをうならせる写真にはならない。だから私は釣り師として、精一杯の精進をしている。

釣れるかどうかわからないような大物でも、ファイト写真を撮ることを試みる。ことしは、高い釣り座からメーター級イトウを掛けたが、結果的にラインブレークで逃がしてしまった。それでも数コマのファイト写真を撮影しておいたので、写真展に使うことができた。水面で暴れるイトウの胴体と尾びれだけでも人を感嘆させることができると知ってうれしかった。

 私の部屋にはさまざまな客人がやってくる。部屋にはソファーからすぐ見えるところに、すくなくとも5点のイトウ写真がある。私が釣りキチであることは、たいていの客人がご存知なので、まずは難しい仕事の話より釣り話から入ることが多い。ときには、イトウ談義だけして、帰る客人もいて、なにしにきたのか分からないが、それもご愛嬌だ。

 私は写真家でもなく、芸術家でもない。趣味の釣りを写真記録として残しているにすぎない。それでも現場で目撃したイトウや風景の美しさや心に刻んだ感動を十分の一でも残しておきたいと撮影をつづけている。ときにはイトウの生態学として貴重な瞬間に遭遇したこともあり、現場主義の喜びを感じることもある。写真は釣りの一部だとおもう。