第123話 ふたりのエキスパート |
11月中旬の夕暮れどき、電話が鳴った。「もしもーし」男の声なので「だれかロクでもない売り込みの電話をよこした」と勘違いした。「本波です。いま稚内の街に入ったばかりです。これからうかがいます」とつづく音声で、にわかに気分が明るくなった。約5ヶ月ぶりの再会だった。 本波幸一プロは大きなダンボール箱をかかえてらせん階段を早足で昇ってきた。それは青森のリンゴだった。何度ももらった大玉のふじという甘味と酸味の絶妙な味わいの特産リンゴだった。その箱の上に乗ったDVDは、彼が山形県赤川でサクラマスを釣ったTV番組の録画だった。どちらもありがたくいただいた。 せっかく遠方から来たのだから泊まっていってくれれば、芋焼酎をやりながらイトウ談義もできるのだが、彼は一刻も早く大河のほとりに行って、明日からのイトウ釣り冬の陣の準備にはいりたいことが分かっていたので、引き止めることはしなかった。 「例年よりずいぶん遅い季節にきたなあ」とおもったが、早く来ていたら、秋雨による増水で惨憺たる結果になっていたかもしれない。さいわい明日から1週間の天気予報では、小春日和とそれにつづく曇り空で、大崩れする心配はなかった。 「つぎの日曜日には名人の横で、寒風に吹かれて存分に竿を振ろう」とおもった。 本波名人が主役のDVDをさっそくパソコンで見た。ことしの早春の撮影で、赤川は雪解け水で膨らみ、いかにも寒そうだった。中規模河川の両岸に釣り人が本当に5mおきにずらりと並んで竿をふっていた。宗谷では見たこともない釣り風景だ。釣り人でにぎわっている割には、ほとんど誰にもヒットがなく、本州のサクラマス釣りの難しさは、聞きしにまさるものだった。しかし、名人はついにサクラマスを掛け、みごとな竿さばきで自作のタモに取り込んだ。59p、3.4kgのぷりぷり肥った1匹だった。つぎに65pのいっそう大物をこんどは簡単にすくった。「さすがだなあ」と舌を巻きながら、名人が私の目前で何度もイトウを釣り上げたときの、誇らしくほっと安堵したような表情を思い出した。 テレビ撮影隊を伴って、かならず釣らなければならないプロの宿命を背負って真剣勝負をつづけている彼の仕事ぶりにあらためて敬服した。 本波名人が去って1時間もしないうちにまた電話が鳴った。 「もしもし、阿部ですけど」 こんどは5日後に南極に出発する写真家の阿部幹雄だった。第49次南極観測隊にひきつづいて第50次隊にも参加し、セールロンダーネ山地の地質調査にフィールドリーダーとして隊の設営全般と安全管理を担当する。もう隊荷の送り出しを済ませ、壮行会も終わって、出発前の超多忙から解放されてひとときの休息を楽しんでいる様子であった。観測隊での公務は、アウトドアワーク全般であるが、彼は写真家であり、ビデオジャーナリストの肩書きももっているので、撮影取材も怠らないはずだ。地質調査が実り多く、なおかつ安全に実施されることを望むが、「なにか困った事故が起きたら、相談にのるぞ」とも伝えておいた。なにしろ、私も南極OBであり、セールロンダーネ山地近くのあすか基地で越冬した経験者なので、「環境は十分よく分かっている」つもりなのだ。 それにしても「おれも行きたいなあ」としみじみ思った。30歳代で駆け巡った南極に、いま60歳目前になって行っても十分な活動ができないかもしれないが、現場に立ちたい心意気はすこしも衰えてはいない。 南極観測隊はとっくの昔にOBになり、もう南極観測の応援団でしかない。いっぽうイトウ釣りはまだ現役だ。つぎつぎに若い釣り師が登場し、なかなかの釣果をあげているが、私だって負けてはいないつもりだ。 本波幸一と阿部幹雄の両雄。ふだん顔を合わせているわけではないが、ふたりのエキスパートが常に心地よい刺激を与えてくれることを感謝しよう。 |