稚内大沼には白鳥おじさんこと吉田敬直さんがいて、春秋に飛来するハクチョウの世話をしている。稚内ではたいそう有名なひとで、誰でもその風貌を一度見たら忘れない。吉田さんは稚内大沼白鳥の会の会長でもあり、長年のハクチョウの世話で前田一歩園賞を受賞している。彼は私の友人であり、彼の居城でもある稚内大沼バードハウスを訪れると「やあ、いらっしゃい」とおいしいコーヒーをご馳走してくれる。
 白鳥おじさんほど魚を可愛がっているわけではないが、今年から、私も「イトウおじさん」を名乗ることにした。いまは釣り師で、イトウの立場からみると、味方というより敵でしかない。しかし私もいつかはイトウの群れが私の姿を見ると集まってくるようなイトウおじさんになりたいとおもっている。
 
 さてどうやったら、野生のイトウが、私のそばにむこうから喜んでやってくるだろうか。どうすれば目じりを下げて、私の周りを回遊し、頭をなでさせてくれるだろうか。それは餌でしかない。餌をくれて、わるさをしないと信じられるひとなら、イトウはやってくるだろう。
 いまは、餌でもニセのルアーで、おびき寄せて痛い目にあわせる極悪人である。もう宗谷のイトウには、極悪人の回状が回っているにちがいない。私のために片目にされた「片目のジャック」や、ひれが傷ついたりえらぶたが欠けたりして、障害者にされたイトウが何匹もいるにちがいない。

 「あいつだけはただじゃ済まさないぞ」

 「あいつが川で溺れたら、身ぐるみはがして、骨の髄までしゃぶり尽くし、河口部に浮かべ  てやる」

 そいつらは、きっと復讐を誓っているに違いない。そういった過去の償いをいずれやらなければならない。

  「こーい、こーい、来い来い」

 大声でイトウを呼び、大好きな餌を、時間ごとにばらまいてくれるイトウおじさんにならなければならない。釣り師としての経験から、イトウの大好物は、イトヨ・シラウオ・チカ・フクドジョウといった小魚である。カエル・ネズミなんかも食べるだろう。ただしみんな生きている場合だ。水族館では、なにを与えているのか聞いてみたことがある。ニジマスの仔魚・ウグイなんかも与えるが、やっぱり入手が簡単なオキアミがいいようだ。水産会社に頼めば、オキアミがガチガチに凍った座布団みたいな塊を手に入れることができる。あれを解かして、ばらまけば野生のイトウが寄ってくるだろうか。それでよくても、高くつきそうだなあ。
 
 もし餌で野生のイトウを集めるイトウおじさんになったら、その注目度は白鳥おじさんにも負けないぞ。白鳥おじさんは、日本中あちこちにいるが、イトウおじさんは他にはいない。生餌の小魚とオキアミをバケツにいれて、河口部の橋のたもとに立つ姿は、宗谷の初夏と晩秋の風物詩になるにちがいない。イトウおじさんが餌を放り投げると、メーター級のイトウが群れをなしてざわめき、跳びはね、駆け巡る。まわりの野生の小魚たちも、なにごとかと慌てふためき、沸き立つように、踊り狂う。それはそれは見事な光景となるだろう。

 写真家の阿部幹雄が質問する。

 「で、イトウおじさんが仕事になるんですか?」

  「イトウおじさんだけでは、めしは食えない。だから、観光客や遠来の釣り人のためにイト  ウ記念館をやる。見学用のイトウも飼う。イトウの展示物も並べる。もちろんイトウの写  真もかざる。阿部の写真がたくさんあるからね。イトウグッズも売る。イトウ釣りのアド  バイスもする。そんなイトウ記念館の館長をやるのさ」

 「そんな時代がいったいいつくるんですか?」

 「世界のイトウを釣ってしまったら、やるよ。サハリン、シベリア、モンゴル、揚子江、そ  して最後はドナウ河のイトウだ。ワルツのリズムでルアーを引いて、ドナウのイトウを釣  ったら釣り師は廃業だ。それから本物のイトウおじさんになる」

 「ははは。それまでイトウ釣り師が五体満足ならいいですね。僕も震える手でカメラを構え  て、いっしょにやりましょう。ははは・・・」

A word of JHPA president