第118話 原 野 |
原野という言葉が好きだ。手持ちの岩波の国語辞典を引くと、「はら。のはら。特に、雑草・低木がはえている荒地」とある。 宗谷には森林も湿地帯もあるが、原野と呼ぶにふさわしい土地がたくさんある。サロベツ原野、猿払川流域原野などだ。それらはイトウを育む豊かな湿地帯も含むのだが、けっして手付かずの未開地ではない。かつては林業、農業、炭鉱などで栄えて、開拓者や住民もいたのに、いまは廃校や廃屋や橋梁だけが残り、栄華の跡をわずかにとどめているところもある。 第二次大戦後には原野を乾燥化させて、牧草地への転換を図ったり、最近では湿地帯の環境保全のためにふたたび湿原化を企てたりする国の政策の変化により原野は翻弄されている。かつて直線化した川をふたたび曲線に戻すことは、愚行であるとおもう。人為的に戻さなくても、自然はみずからの復元力を有している。私は宗谷で直線化された川が、いまでは微妙に蛇行してイトウの居つき場所となっている実例を知っている。 日本最北の宗谷岬から宗谷丘陵を縦断する道路は、工事が寸断されて放置されている。この道路はイトウの産卵する源流部の原野をことごとく切り裂いていく道で、もちろんイトウ保護の観点からいえば、開通しなくてよかったのだが、この道路事業に投じられた無駄な税金はいったい誰に責任をとらせればよいのだろう。 はじめての原野に突入するとき、私の気持ちは緊張と高揚で奮い立つ。私は釣り師であり、目的地はイトウの棲む川なのであり、原野のなかをさまようことではない。できれば一直線に川に到達したい。しかし、むやみやたらに猪突猛進するわけにはゆかない。帰りのことも考えておかなければならない。地図と磁石で、方向を定め、目標となる大木などを決める。そこへ一直線に切り込む。たいていは、想定以上の苦労をせずに、川中に立つ。それは、川は原野の中でも一段低い土地を流れているものであり、河畔にはヤナギやハンノキなどの木が生えていて目標になるからだ。「往きはよいよい帰りはこわい」は原始の川の出入りにはピッタリの標語で、川を出て、農道や林道に予定通り帰りつくのは難しくかなり神経をつかう。それは背丈を超える植物の海のなかで、目標が定めにくいからだ。 9月なかば、私はひさしぶりに原野をヤブこぎして、川へ突入した。夏の間は、原野では花粉を飛ばすイネ科植物のおかげで、くしゃみや眼のかゆみや皮膚炎を覚悟しなければならないが、秋になればその心配はない。 川は減水していたが、水温は15℃と理想的だ。岸辺にはエゾシカの足跡があるだけで先客の気配はなかった。ひとつひとつのポイントを探りながら、ゆっくりと川を遡行し、ようやく目的地に着いた。「砦島」と名づけたイトウの聖域だ。むかしは砦のような半島があったのだが今は特徴のない岸辺に変わった。ここで川幅は急に狭まり、水深は腰から胸までと増し、両岸からヤナギがかぶってくる。イトウは、ここに潜んで、自らの安全を確保しながら、通りかかる餌魚に飛びかかるのだ。 深い珈琲色に沈んだ水面にプラグを投入すると、間髪をいれずに魚が飛びついて、水柱が立ち、軽い抵抗でまずイトウ43pが出た。写真撮影、計測のあとリリースした。再度おなじ水面にルアーを投げ込むと、なんとまたヒットした。こんどはやや重量感があり、引き味を楽しんで、タモですくった。肥った51pで元気がよかった。 「これはイトウのパラダイスだ」 この場所に何匹いるか分からないイトウに、異様な胸の高鳴りをおぼえた。川床が泥で滑りやすいので、慎重に一歩ずつ前進した。かぶっている枝をかいくぐり、さらに狭い水路にはいったとき、いきなりドバッと水音をたてて、足元から90p級が逃げていった。さらに数m先に波紋を引きながらかなりの大物が泳いでいた。 「なぜここに集まっているのか」 それがおおいなる疑問だ。しかしいまは、答えを探している暇はない。こまめに、手首を利かせて、ショートキャスティングをくりかえす。すると、深い水路が浅くなりはじめたところで、グシャとヒットした。今度は50pちょうどだった。ランドする場所はないので、タモの中で体長を測り、いつものように数枚の写真を撮って、放した。 「せせらぎ」と名づけたポイントが近づいてきた。むかしから、ドラマチックに川の相が変わる場所で、深い淵になったり、あっけなく浅い平瀬になったりする。いまは、せせらぎが、スムーズに淵に移行している。 「絶対にいる」 信じてルアーをホワイトウオーターに放り込むと、ドンと魚が出た。53pだった。25分間に天下のイトウを4匹釣ったことになる。 「砦島」から「せせらぎ」までわずかに200mの距離しかない。ここにイトウが6匹いた。イトウにとってはとんでもない過密地帯だ。不思議だったのは、今回の2.5`のコースで、ここにしかイトウはいないという事実だ。「孤高の川の王者」が、なぜかここにひっそりと寄り合って棲息していたのだ。 原野は私にとっては、一日中遊んでいられる魅力的なプレイランドで、本当に飽きることがない。原野を原野のまま後の世代に残すためにやるべきことがありそうだ。 |