第117話 暑中見舞い |
ことしも本州以南は大変な猛暑に見舞われている。そんな土地に住むひとから、暑中見舞いのはがきをもらう季節となった。しかし、暑中見舞いを出さなければならないのは、冷涼な日本最北の街に住む私のほうだ。 稚内の夏といえば、最高気温が25℃前後で、空気は乾燥し、風も吹いてさわやかで、じつに心地がいい。宗谷の夏に「暑い」などと言ったら、本州以南の人には叱られる。 日本が一番暑い8月の初旬ころ、私は毎年、暑中見舞いのはがきをごく限られた知人に送ることにしている。はがきは、イトウの抱っこ写真で、その年のシーズン前半の釣果である。ことしは、前半の最大魚は90p、8.2kgだったが、残念ながら抱っこ写真は撮れなかったので、暑中見舞い用はナンバー2の魚となった。87p、5.3kgの若干やせ気味のひょろ長いイトウである。 この1匹を釣ったのは6月28日で、まだ全然暑くはなかった。そのため釣り師のジャケットもしっかりとした防寒用である。中河川一番の大場所で、アサイチに乗り込み、第一投で掛けた会心の1匹であった。淵頭でヒットし、淵のなかを引きおろし、淵尻の砂利浜にずりあげた。この時点でことし一番の大物だったので、当然ながら釣り師は喜びまくり、へらへらと笑いが収まらない。そんな抱っこ写真である。背景に透明で緑を写しとったせせらぎが流れ、川岸の萌える草木もみずみずしい。うだる暑さに辟易している都会の人びとに送る絵はがきとしては、申し分ない構図だ。 私はそんな暑中見舞いを10人の人びとに送った。年賀状もいつも抱っこ写真だから、それにふさわしいイトウをシーズン後半にまた釣らなければならない。これが後半の釣りのモチベーションを高めてくれる。見てほめてくれる人がいると、大物釣りに精魂がはいるのは当然のことだ。 私が釣りキチであることは、友人・知人はみな知っているので、彼らには「まだイトウ釣りに熱中しているぞ。こんな大きな魚を釣ったぞ」というメッセージを送りつづけなければならない。イトウ釣りのメッセージを送れなくなったら、釣り師が竿を振ることができない、すなわち気力体力が衰えて死期が迫っているというふうに受け取られることだろう。 だんだん歳を取ると、営々としておなじ仕事や遊びを熱中してつづけている人物には敬意を払いたくなるものだ。私の愚直なイトウ釣りもその部類にはいっているようで、ひさしぶりに会う人びとが、「どう?ことしのイトウは」とまずイトウのことを聞いてくれる。けっして本業のことではないのだ。もちろん私も本業よりイトウのことを答えるほうが楽しい。本業よりはるかに好成績だから。 便りやメールといった通信を行なうときは、まず反応の得られる人物、すなわち返事をくれる人に送ることが基本だ。誰だって、せっかくメッセージを送ったのに、返事が返ってこないような人物には送る気力をなくする。私が抱っこ写真を送ると、かならず味のあるイラストを添えてうれしい返事をくれる人生の先輩がいる。この人物には、どうしても暑中見舞いのはがきを書きたくなる。それは彼の返事が欲しいからだ。 私がことしの暑中見舞いはがきを投函したら、なぜだか急に涼しくなってきた。もう宗谷の短い夏は終わりを告げているのかもしれない。毎年、お盆中日をすぎると、宗谷の気候は転がるように秋に移る。気がつくと、川にはカラフトマスやシロザケがあふれるほど遡上して、イトウはいちじ姿を隠してしまうのだ。そんな季節の変わり目が、もう一週間もしないうちに訪れる。 |