114話  本波名人と会食


 年に一度かせいぜい二度、本波幸一名人と稚内で会食する機会がある。ふだんは寡黙な名人も、釣り談義をすると口が軽やかだ。

彼とは2004年の初夏から4年の付き合いだが、私より10歳若い彼から釣りの奥深さをたくさん学んだ。

大物を釣る釣技や川に立ち続ける心身の持久力はなかなか会得できるものではないが、大物を狙う戦略、道具仕立は学んですぐ活かすことができる。本波プロにかぎらず巨大魚を釣る優れた釣り師は幾人もいるが、釣って喜ぶアマチュアと釣ることが仕事であるプロとは根本的にちがうところがある。

プロとアマの違いが決定的に現れるのは、巨大魚が掛かったときのバラシ率だろう。魚はプロを選んで掛かるわけではないので、ヒットする確率は平等だ。しかし、アマチュアはたいていバラスが、プロは確実に獲る。一かゼロの明白な違い。私は本波プロと並んで釣りをして、彼がバラシたのを見たことがない。イトウがヒットすると、機敏だが余裕のある対応をして、こともなげに短い時間でランディングする。なぜかしら魚があまり暴れないのだ。私のドタバタの取り込みとは対照的で、写真的にはハラハラドキドキの私のほうが面白いと阿部幹雄は言う。「面白い」と「絵になる」とは異なるが。

本波幸一プロは、大物トラウト釣り師として、頭角を現し、いまやルアー釣りの世界ではトップスターの座に君臨している。彼がそういうステイタスをもつことになんの異論もないし、その活躍を友人として喜んでいる。彼は大物を釣り、その記録を伝えることにより、ふつうの釣り人に夢と希望を与え、その結果、信奉者は増え、製作するロッドとルアーは人気を博す。彼が登場する釣り雑誌は売れ、釣りのテレビ番組の視聴率は上がる。いまは超人のようなカリスマ性が前面にでるが、朴訥として穏やかな人柄から、いずれ年齢を重ねると、故西山徹さんのような誰からも愛される釣り師になることだろう。

ことしも車の修理に稚内へ来た本波プロと、取材に猿払を訪ねた写真家の阿部幹雄とを誘って、いつもの居酒屋でんすけで飲んだ。私は指定席ともいえる隅の一卓を確保してあった。まずビールで乾杯し、そのあとは焼酎黒丸をロックで飲んだ。

会話は当然ながらイトウ談義からはじまるが、彼のプロとしての日本各地でのさまざまな仕事も興味ぶかい。われわれ北海道のアングラーなら、外道・迷惑魚扱いのサクラマスを求めて、山形県赤川に集結する釣り師の群集のすごさは一見の価値があるらしい。川の両岸に10mおきに立つ釣り師、めったに釣れない魚、携帯メールでの情報の氾濫など、われわれには信じられない川釣り風景だと。群集がなかなか釣れないなかで、プロはちゃんと結果を残す。しかもテレビ取材をきちんと果たす。多分、彼はプレッシャーを課すほうがよい結果をだす数少ないタイプのひとなのだろう。

本波プロが苦労して探し当てたイトウのスポットに、情報をたどって釣り人が集まるようになった。人の数に反比例して、釣れるイトウの数が減ってきた。本波幸一に会いたくてくる人もいるが、人が集まることによって、さらに群集がやってくるようになった。彼もかつてほどは釣れなくなった。彼は容易に自分の流儀や釣り場を代えない人だが、私は「本波ポイント」を移転することを進言している。人気プロが場所を代えても、やがては「追っかけ」がくるが、すくなくとも2年くらいは静穏な環境で竿をふることはできるだろう。

これだけ情報が氾濫する世の中で、ひとりの著名な孤高の釣り師が、誰からも邪魔されることなく釣りをつづけるのは至難の業である。まして彼はプロの仕事として、情報を発信しなければならないという宿命も背負っている。ファンあってのプロだが、野生魚を相手の釣り師の場合は、まわりに人が寄ることを素直に喜べない事情がある。

私は本波幸一名人の友人として、イトウ釣りの学徒として、彼がもっと人知れず存分に竿をふる環境を整備したいとおもうのだが。