111話  釣り天国


 イトウの会ホームページでおなじみの出狸化小爺小婆夫妻に川のほとりで再会した。いつもの場所でキャンプをしていた。イトウ釣りをずっと続けているおしどり夫婦だ。宗谷のイトウ釣りでは、私よりも長い経験を持つ人たちだが、いまもなお新しい釣り場を開拓しているところが凄い。

 直近の釣果などの情報交換をやり、自作の布製ルアーキーパーの出来ばえなどを見せてもらった。そのあとで、小爺は一枚の航空写真を見せてくれた。

 「ここは分かりますよね。最近ふたりで行ってみたのです。すばらしい川でした。メータークラスのデカイ魚を掛けたのですが、逃げられました」

私もかねてから一度行ってみたいと望んでいた川である。それがこの季節に限って案外簡単に到達できるそうだ。

 「ぜひ一度行ってみて、釣りを試してみてください」

彼はその航空写真を私にくれた。行かないわけにはゆかない。それは早いほどよい。その日はまだ午前中だったので、私はさっそく単身そこへ至るルートを踏査することにした。

草地を横切り、ササ原を突破し、湿原を渡り、ヤナギの低木帯を抜けると、原始の川が流れる釣り天国があるそうだ。

幸い、私の車には航空写真の他に、道北をカバーする2万5千分の1の地形図、磁石、熊スプレー、サバイバル用具、食料、多様な釣り道具がつねに搭載され、私には自慢の脚力と尽きない探究心まだ残っている。

車を入り口の道路わきに捨て、いざ出陣した。ときおり、ものすごい数の野鳥が沸き立つように飛びあがる。カモ類なのは分かるが、名前は知らない。まもなく、宗谷岬を経由してサハリンやシベリアへ北上するのだろう。その野鳥を撮影する写真家がカメラを向けて待機していた。

最初の難関は、ササ原である。しかしここは何度も突破しているので、あえぎながらもきちんと見通しが立てられる。なんども振り返って、帰路の目標を記憶した。

湿原に入ると、枯れたヨシ原を強引に突破する。足元はグジョグジョだが、足首ほどしか埋まらない。「嫌だなあ」と思って歩いているうちに、地面が乾いてきた。ヤナギの低木が生えているが、下草がまだ短いので、簡単に突破できた。

ふと前を見ると、そこに幅15mもある堂々たる川が流れていた。初の到達で、紆余曲折があったにもかかわらず、思ったより短時間でやってきた。これは河畔林の下草や湿原のヨシが伸びていない季節だからこそできることだ。

川風景は、日本で見慣れた風景ではなく、アラスカかシベリアといっても誰も疑わないみごとな原始の川であった。薄茶色の川は、波ひとつたてずに、ゆったりと蛇行しながら流れていた。人工物がまるでないという風景は、もはや北海道のなかでも特定の地域でしか見られないものだ。

はやる気持ちを抑えて、河原に足を運んだ。そこには無数の鹿の足跡があった。新しい靴跡は、出狸化夫妻のものに違いない。おそらくヒグマの跡もあるだろうと、探してみたが、見つからなかった。絶対にいるにちがいないが、どこかで私を注視しているのだろう。

私は、とある屈曲点から川中に踏み込んだ。泥底だが、平坦で、足をすくわれることはなかった。上流へ進むと水深はおだやかに深まっていった。そこで、真ん中、右、左とフルスイングでキャストした。いまにも恐ろしいような当たりが来るかと緊張したが、まったく反応がなかった。

こういうときは、「ああ駄目か」とルアーをピックアップする瞬間に、突如ものすごい大口がかぶりついたりするのだが、それもなかった。大きな流木の陰、泥岸のえぐれ、平瀬などでどきどきしながら投げつづけたが、ついに不発に終わった。

「大イトウは、昼寝しているのだ」

私は、後ろ髪を曳かれながら引き上げることにした。もう地形や植生を理解したので、最短の足場のよいルートをたどることにした。いくつかのチェックポイントを写真撮影しながら、車にもどった。

これから気温が上昇し、ひと雨ふた雨くるとヨシも下草も怒涛のスピードで、成長する。一週間後はまだ歩けそうだが、二週間後はもう踏み込む意欲さえ湧かないに違いない。釣り天国とはそういうところだ。