105話  ランニング


 マラソン大会に出るわけでもないのに毎日ランニングをやっている。これはトレーニングというよりも宗教だ。朝起きるとすぐ「南無妙法蓮華経」と唱える代わりに5qを走る。私の場合は、走る達成感というものはあまり感じないが、走らないとどうも納得がいかない一日となる。走ることで、一日のリズムをリセットしているようだ。 

日本最北の街・稚内で、冬の未明に地吹雪舞う中を走るおっさんを見たらおそらく私であろう。除雪隊の邪魔にもなって迷惑をかけている。しかし、同じ時間帯に戸外にいる人びと、すなわち新聞配達人、始発バスの運転手、救急隊員などにはすっかりおなじみのランナーとなった。

私は元来足の遅い子供であった。小中高校まで運動会で活躍した思い出はひとつもない。短距離でも長距離でも走るのは苦手で、できれば走ることは避けたいとおもっていた。

それが、医師になり、勤めはじめた28歳くらいから変わった。南極観測隊に参加することが決まったころから、「走らなければ」と思い始めた。仕事に没頭して、不規則な食生活をはじめて、体重がベストウエイトから10kgも増えたのがきっかけだった。むかしからやっていた登山で、予想外にバテたこともショックだった。

そんなわけで、走り始めると、ランが案外楽しいことに気づいた。それまでは、ランは他人と競走することとおもっていたのだが、独りで走ると、それが内なる自分との闘いとなったのだ。独りで走るのだから、遅くてもかまわない。走る距離は、最初は一日1qほどだったが、慣れてくると3qになり、5qに増え、40歳代には一日10qに伸び、最大一日20qを超えるという無茶な距離となった。一番走った月は、月間621qという長距離ランナー並みになった。私は走るのが遅いので、一日20qを消化するには、24時間中2時間以上を走らなければならないのだから、日常生活が脅かされることになった。私は外科医で、手術などの診療もあったから、ほんとうに時間がなくなった。日常生活は眠る、食べる、働く、走るだけのシンプルライフになって、家族とくつろぐことがなくなった。こんな生活が長つづきするわけがなく、私は疲労困憊して倒れ、自分の病院に入院するはめにもなった。それからはちょっと反省して、走る距離を制限し、現在は1ヶ月150qに縮小している。

ランは全身運動で、とりわけ長距離走は有酸素運動であるから、理想の減量運動となる。私の場合、月にランニングで消費するエネルギーは約8000kCalで、これはおよそ体脂肪を1kg消費する値である。だから、私は食事制限することなく、好きなものを食べて、アルコールも飲んで、BMI21.6の標準体重を維持できている。

さて、毎日のランがイトウ釣りにどんな効果を与えているのか。その一、走ることにより「さあ釣るぞ」という意欲が湧いてくる。これは脳内ホルモンが分泌されるからだろう。その二、日々のランで持久力ができているので、釣りと原野歩きのスタミナが切れない。その三、ひと汗流すことによって、へんな力みがなくなり、非常に冷静に釣りに挑むことができる。その四、走ることにより距離感を正確に把握しているので、川中を歩いてもおおよその距離が分かる。

それでは実際に川や岸辺で走ることがあるのか。以前は、実際にアプローチの農道を走ったりしていたが、いまはやらない。そんな体力はもうない。なにしろあと1年もしないうちに還暦を迎える歳なのだ。

歳をとると、運動をしなくなる。とくにランニングのような独りでやるつらい運動は敬遠される。人生の後半になにをすき好んでそんなつらいことをしなければならないのか。それは私の場合、同世代のひとといっしょに階段を上がって、相手が息切れしているのに、自分は平気といった小さな優越感が支えているのだ。