101話  春を待つ


 雪国に暮らす人びとは誰もが春を待っている。とりわけ一年の半分は雪景色で、雪が横から降るという宗谷の住民はその想いが強い。私は京都の生まれ育ちだから、真冬でも雪はたまに降るくらいのもので、わずかでも積雪があれば喜んで踏んで歩いたものだ。いまおもえば、京都の冬など宗谷の11月初旬ころでしかない。

宗谷の冬、イトウを愛する釣り人たちは、祈るような眼差しで凍った川を眺めている。しかしルアー釣りは氷が解けないことにはどうにもならない。

 本州では2月や3月に川釣り解禁のところもあり、もう竿をふっている釣り人も多いだろう。われわれ北海道の釣り人には、規制としての禁漁という概念がないから、川が完全結氷して自然禁漁になったらあきらめるし、氷が解けたら竿をふる。私は例年イトウは産卵後の5月からと決めている。ことしイトウも解禁日を設けてくれればすっきりする。3月に解氷するとまずはアメマスを狙う。私はどうしてもアメマスはイトウほどの価値を見出せないので、あまり熱中できない。

 冬のあいだ、イトウ釣り師たちはいったいどうやって暮らしているのか。われわれの仲間では、凍結河川でワカサギやチカを狙って穴釣りに精をだす者もいる。しかし大方は、冬は釣りのオフと決めて、竿を完全に置いている。私は釣りデータの集計、執筆、講演などで憂さを晴らしているが、やはり冬のオフは苦手だ。どうしても欲求不満で酒量が増える。

 私は冬季には都会へでかけると、釣り道具店をよく訪ねる。オフシーズンに緊急に必要な道具はないのだが、山と積まれた商品のなかから掘り出し物を見つけるのはたのしい。私が一番期待しているのは、ルアーのバーゲンセールだ。むかし一世を風靡したスプーンやスピンナーが二束三文で売りに出されていはしないかと探したりしている。

 釣り雑誌も冬にはよく読んでいる。「北海道のつり」「Gijie」「Flyfishers’」などのほか、本屋での立ち読みもよくやっている。みな冬の間の読者層を集めるには苦労しているようだが、この時期のメイン記事はサクラマス釣りであるらしく、本波幸一名人はここでも主役だ。サクラマスは北海道の内水面では禁漁がほとんどだが、宗谷の感覚では「どこにでもいる魚」だ。

稚内・札幌間のJRもよく乗車するので、読書、音楽、弁当とならんで冬の原野と凍結した大河の車窓風景を眺めるのはいつもの時のすごし方である。天塩川でも通年で結氷しない箇所がいくつもあることに気がついた。水面からけあらしが立って幻想的な冬景色となる。いかにも寒そうだが、絵になる美しい風景だ。

 春が近づくと日が長くなるのがうれしい。私は毎朝5時に起きて5qのランニングを日常的にやっている。真冬だとまったく未明のランとなるが、春が迫ると、ゴールするころには明るくなっている。走ることは、釣りに直接に役立つことはないが、身体を鍛えておくと、釣りシーズンのハードワークもこなせる。大事なことは基礎体力をたくわえることだ。

 冬は北から降りてくるが、春は反対に南から昇ってくる。宗谷の里から雪が消えようとするころ、渡り鳥が北へ向かう旅をはじめる。派手なのは群れで飛び立つハクチョウだが、私がいつも気になるのはオオワシやオジロワシだ。猛禽類は長距離飛行が苦手なので、宗谷海峡も条件のいい日に南風に乗って渡るそうだ。風待ちをしている連中を、天塩川周辺や宗谷岬周辺にはたくさん見かける。彼らはたびたび飛行訓練をやっているが、スタミナ不足なのか体重オーバーなのかすぐに着地してしまう。あれで海峡横断が大丈夫なのかなと心配になる。

 あれこれと想いが飛び跳ねるのは、集中するものがない証拠だ。まもなく、迷うことなく熱中できるイトウ釣りの季節がやってくる。