A word of JHPA president

 わが市立稚内病院にはイトウの会と名乗る釣り同好会があり、私が会長を務めている。同じ職場の仲間ではあるが、それぞれの職業は、医師、薬剤師、診療放射線技師、作業療法士事務職など多様である。ただイトウにかける情熱はみな熱い。
 会長の私はさておいて、副会長の川村謙太郎君は、庶務課の職員で、稚内出身の青年である。長身で格好よく、釣り技もうまい。彼が2003年の春に、念願のメーターをはるかに超える110cmのイトウをみごとに釣り上げた。彼から聞いたストーリーはつぎのようなものだった。

その日、彼は日没寸前に1投目で「途方もない魚」を掛けた。7フィートの竿を立てるのが精一杯、リールのドラグは鳴りっぱなしで、ラインがとめどなく出て行った。50mはある川幅の対岸まで魚は止まらない。ようやく魚が止まると、やっとのことでラインを巻き戻したが、またまた魚が対岸に向かって走る。そんなやりとりを四、五回つづけた。その間魚は水面にはまったく姿を見せない。  
  どんな怪物が掛かったのかと、どきどきしていたが、水面下にその姿を見たときは仰天した。頭が人のそれくらいあるのだ。時間はどんどん過ぎていった。40分ほどして、イトウは浮上して腹を見せはじめたが、タモですくおうとしても、とても入る大きさではない。仕方がないから、手でランディングすることを決意した。鰓ぶたから、手をつっこんで素早く引き上げるのだ。
  
  おそるおそる魚を岸辺に近づけると、参っていたはずのイトウが、さいごの馬鹿力をしぼりだして、大暴れする。そのたびごとにラインを繰り出して、すこし闘いを休んだ。やがてイトウが口を上に向けて水中に立った。水面下に直立しているのだ。下半身が重くて立ってしまうのだ。死んだかとおもうと、ちゃんと呼吸をしている。それでもこのままなら、引き上げる前に死んでしまいそうだ。釣り師は慌てた。そこで、祈るような気持ちで、ラインを右手でつかみ、鰓ぶたに左手を差し込み、えいやと陸地に放り上げるようにして、取り込んだ。
  魚が陸でどたどた跳ねたが、釣り師は放心状態だった。釣り上げたはいいが、カメラを持ち合わせていない。もちろん本人は、イトウをキープする気は毛頭ない。慌てて、イトウの会の仲間に携帯電話で頼んだ。巨大な魚を水に入れたり出したりして、カメラの到着を待った。駆けつけてくれた仲間が、すでに真っ暗になった河畔で、イトウを抱いた川村君をフラッシュをたいて激写した。この抱っこ写真は、釣り師の宝物となった。イトウは川に返したが、リリースするまで、半時間も戦いで弱った魚体を水中で支えていた。まだ10℃ほどしかない水温で、手がしびれあがったが、興奮で心は燃え上がっていた。釣り少年の夢がようやくかなった。
 後日、川村君の大釣果を祝って、街の居酒屋で祝宴を開いた。彼は、メーターオーバーのキャッチをゴルフのホールインワンと同じように考えていて、なんと引き出物をメンバーに配った。それは、イトウの大魚をイメージしたブローチで、なかなかよくできていた。イトウの会の会員はこれからこのブローチをつけて彼の釣果を目標とすることになった。

 ところで、あとで分かったことだが、彼が釣った日にじつはもっと大きいのが、漁の網にかかっていたのだ。残念ながらその魚はリリースされずに漁協の冷凍庫に保管されているという。そこで、私は漁協に頼んで、その巨大魚を見せてもらうことにした。

120cmだった」

漁協の担当者は言って、冷凍庫に案内してくれた。発泡スチロールに入って最上段の棚にそれは保管されていた。「なんだメーターには足りないのかな」と一瞬おもったが、箱から尾びれがそっくりはみ出していたのを見て、私は120cmを納得した。
 ガチガチに凍りついて白く変色した巨大魚は、大きく口を開けて、なにかを訴えようとしているようにみえた。川の王者にしては哀愁のただよう姿であった。私はカメラでいろんな角度から撮影させてもらった。持参したメジャーで測定してみると114cmであった。おそらく死後に縮んだのであろう。
 漁協では冷凍イトウを剥製マニアに売るつもりでいたようだが、はたして買手が現れたかどうか。私は、120cmまで生き延びたイトウに敬意を表して、もし手に入るのであれば内臓や鱗は研究者に調べてもらい、そののちは剥製にして市庁舎か病院の玄関にでも陳列したいと思っている。おなじ川にメーターオーバーが少なくとも2匹いて、同じ日に捕獲されたのは、偶然ではない。おそらく川で産卵するために大量に遡上したイトヨやシラウオの群れを追って、下流部にイトウが集まっていたのだろう。

川村君の釣果を聞きつけて、イトウの会の面々がその川にはせ参じたのはいうまでもない。確かにイトウはいた。夕暮れ時の激しいボイルが明らかな証拠であった。さらに私自身が、川村君が釣った同じ場所で、86cmを釣ったのである。まるまると太ったいきのいい イトウで、来年にでもメーターの仲間入りをしそうなやつだった。

「メーターオーバーが幻ではないことは分かった。150cmもおそらく幻ではない。まだこんな巨大魚が日本の川に棲息している」

私はなんだかうれしくて、うきうきしてきた。